1. HOME
  2. ブログ
  3. 2021年6月6日説教「神の畑、神の建物」松本敏之牧師

2021年6月6日説教「神の畑、神の建物」松本敏之牧師

コリントの信徒への手紙一3章6~11、18~23

(1)礼拝再開の喜び

「皆様、お久しぶりです。ご機嫌いかがですか」、という礼拝らしくない挨拶から始めます。鹿児島加治屋町教会では、4月18日以来、6週間ぶりに、教会に集う形での礼拝を再開しました。時間も短く、賛美歌も声に出して歌えないなど、さまざまな制約がある形での再開ですが、とにかくこのようにして教会に集えて、信仰の仲間と共に礼拝ができる幸いを感謝したいと思います。

大事なペンテコステ礼拝もオンラインだけとなってしまいました。そのペンテコステに予定していた洗礼式を本日行うことになりました。そして一人の方を転入会者としてお迎えします。これらのこともまた大きな喜びです。

(2)創立143周年記念

鹿児島加治屋町教会の創立143周年記念礼拝として、この礼拝を守っています。私が着任した2015年までは、創立記念礼拝の日の週報の裏面に、創立の経緯が記されていました。そこに記されていたことを、かいつまんで紹介させていただきます。

「わが教会は、米国メソジスト派九州教区長デヴィソン宣教師によって、長崎美以教会(現長崎銀屋町教会)に次いで九州で二番目に創立された教会である。

デヴィソン宣教師は1877年(明治10年)秋、飛鳥伝道師を伴い、鹿児島に視察にきた。……デヴィソン師が選定した民家の場所は、山下町(185番地)とある。……その後、1878年(明治11年)6月、山下町に鹿児島美以教会が設立された。この日から数えて143周年ということです。

その後1907年(明治40年)5月に、日本メソジスト鹿児島中央教会と呼称するようになり、1941年(昭和16年)6月日本基督教団成立後は鹿児島城南教会、また、1985年(昭和60年)8月1日から日本基督教団鹿児島加治屋町教会と改称された。」

そのように、日本基督教団鹿児島加治屋町教会史『恵みのみ手に支えられて』に記されています。

(3)コリントの信徒への手紙一の執筆年代と特徴

さて、4月1日に始めました新約聖書通読計画、先週の水曜日からコリントの信徒への手紙一に入りました。最初に、少しこの手紙についてお話しておきましょう。この手紙は、教会の創立記念日に読むのに、とてもふさわしいものであると思います。

聖書には、パウロがコリントの教会に宛てた手紙が二つ収められています。実際にはもっとあったであろうと思われ、これらの手紙の中にそれが暗示されているのですが、今日はその話はやめておきます。

コリントというのは、地中海の中のエーゲ海とイオニア海に挟まれたところで、交通の要所でありました。紀元前9世紀頃、ドーリア人の侵略者によって創設され、古くから裕福な商業都市として栄えていました。

パウロは第二次伝道旅行の際、恐らく紀元49年頃、アテネからコリントに来て、コリントの教会を設立しました。パウロは1年6か月に渡ってコリントに滞在し、同労者シルワノやテモテに助けられて教会の基礎を作りました。

コリントの信徒への手紙一は、それから数年後、恐らく紀元55年頃に執筆されました。この前に読みましたローマの信徒への手紙は、パウロがまだ行ったことないローマの、まだ会ったことのないローマの教会の人々に宛てた手紙でした。知らない人に対する自己紹介を含めた手紙でしたから、かなり「かまえて」、そして慎重に書いていました。それに対して、コリントの教会は、パウロが設立した教会です。教会の主だった人たちのこともよく知っていました。ですから、パウロはこちらの手紙では、遠慮なくズバズバと言いたいこと、言うべきことを述べています。しかもパウロがコリントを去った後、彼のいない数年の間に、コリントの教会ではさまざまな問題が起こっていました。そうしたことに詳しく触れています。

(4)コリントの教会の人々

最初のコリントの教会の構成員にはユダヤ人もいましたが、大部分は非ユダヤ人、すなわち異邦人でした。しかもユダヤ教に改宗していない異教徒(割礼を受けていない人たち)が大半を占めていました。彼らの多くは、最初、身分が低く貧しい人たちでした。パウロは、1章26節以下でこのように述べています。

「きょうだいたち、あなたがたが召されたときのことを考えてみなさい。世の知恵ある者は多くはなく、有力な者や家柄のよい者も多くはいませんでした。ところが、神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。すなわち、力ある者を無力にするため、無に等しい者を選ばれたのです。」(コリント一1:26~28)

しかしパウロがこの手紙の中で、批判の対象とした人々は、主に「すでに裕福になった人たち」「偉くなった人たち」です。最初から裕福であった人たちもいたでしょうが、だんだん裕福になった人たちもいたのかと思います。パウロは、4章7節以下で、このように厳しい言葉を述べます。

「あなたを優れた者としているのは、誰なのですか。あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。受けたのなら、どうして受けなかったかのように誇るのですか。あなたがたはすでに満腹し、すでに富んでいます。私たちを抜きにして王になっています。」(コリント一4:7~8)

(5)この手紙の構成と内容

この手紙は最初の導入部と終わりの結語の部分を除いて、全体を大きく二つに分けることができます。前半は6章までで「この教会の憂慮すべき実情に対してパウロの批判を示した部分」で、後半は、「この教会から寄せられた質問に対するパウロの回答を示した部分」です。

パウロはそのような教会の具体的な問題の中で、教会とはどういうところであるか、また教会はどうあるべきかという教会の原点を示したと言えるでしょう。

それは創立記念日を迎える私たちに、とても大事なことです。その中から、特に創立記念日にふさわしい3章の中の言葉を読んでいただきました。ここを読むと、コリントの教会で創立直後から、指導者をめぐる分派争いがあったということがうかがえます。3章4節で、こう述べます。

「ある人が『私はパウロに付く』と言い、他の人が『私はアポロに』と言っているようでは、あなたがたはただの人ではありませんか。」(コリント一3:4)

「ただの人ではありませんか」というのは、「それでは他の組織と変わらないではありませんか。教会は他の組織と違うはずでしょう」ということでしょう。何が違うのか。それは教会には、指導者の上にまことの主がおられる。神様、そしてイエス・キリストがおられる、ということです。ですから私たちは他の集団と違って、祈りつつ前進するのです。私たちはついそのことを忘れてしまいがちです。

(6)パウロとアポロ

パウロはこう続けます。

「アポロとは何者ですか。パウロとは何者ですか。二人は、あなたがたを信仰に導くために、それぞれ主がお与えになった分に応じて仕える者です。私が植え、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神なのです。」(コリント一3:5~7)

アポロというのはパウロの後、コリントの教会の伝道者、指導者となった人です。とても雄弁家であったようです(使徒言行録18:24)。それに対してパウロはどちらかと言うと訥弁であったようです(コリント二10:10)。人間的には恐らくアポロのほうが魅力的な人物であったのではないかと想像できます。実際、パウロのような人が身近にいたら、やりにくいなあ、と私も感じるような気がします。人気を二分していたのでしょうか。ややミーハー的なノリで、「私はアポロさんのほうが好き。」「いや俺は断然パウロ先生だな。」という感じであったかもしれません。

パウロとアポロでは、もしかするとメッセージの強調点も微妙に違っていたかもしれません。しかしそれらは矛盾するようなものではありませんでした。個性の違い、与えられた賜物の違いという程度のものであったでしょう。実際、パウロは他のアポロのことをリスペクトしています。敬意を表しています。「私が植え、アポロが水を注ぎました」という表現からもそれがわかります。そしてこの手紙が書かれた時には、すでにアポロもコリントを離れていたようです。

ここで教会が畑にたとえられていること、そして教会を育てることが植物の成長にたとえられていることは印象的です。それはまさに教会にふさわしいことです。私たちは、神様に与えられた役割をそれぞれ担い合うことによって、ちょうど植物を育ててくださるように、教会を育ててくださるのです。

(7)教会員同士の対立を超えて

またパウロとアポロは尊敬しあっているのに、彼らが去った後に、教会内では分派争いがあったということにも注意したいと思います。私が想像するには、パウロとアポロの違いよりももっと実際的な利害関係のからむような対立があったのではないかと察します。パウロやアポロは名目上、その実際的な利害関係に利用されているだけかもしれません。教会内では何が対立の根拠になるかわかりませんので、気を付けなければならないでしょう。信仰的なことでも意見が分かれます。たとえば人を惑わすような人物が現れたとします。その問題を何とか解決しなければならないというところまでは共通理解なのですが、困ったことに、その人物と、あるいはその問題とどう向き合うかでまた対立したりすることもあります。

そうした時に、私たちは、教会にはまことの主がおられるという原点にいつも立ち返っていかなければならないでしょう。ある部分では神様に委ねて、心を平安にしてなすべきことをなしていく。あるいは模索していくことが大事ではないかと思います。神が教会を守ってくださる。神が教会を育ててくださる。神が問題を解決してくださる。

教会は神の畑であり、神の建物です。教会に集う人々も神の畑であり、神の建物ですが、同時に、私たちは、神の畑の管理人であり、神の建物の管理人でもあります。そこで私たちはおごらず謙虚になって、何が主の喜ばれることであるか祈りつつ模索し、主の意向を実現させるような教会でありたいと思います。

関連記事