2021年12月19日説教「輝く明けの明星」松本敏之牧師
ヨハネによる福音書1章9節
ペトロの手紙二1章16~21節
(1)明けの明星が心の中に昇るときまで
講壇のキャンドルに四つ火が灯りました。多くの日本の教会では、本日の礼拝をクリスマス礼拝としていることと思いますが、コロナ禍にあって密を避けたいということもあり、本日は本来の教会暦の通り、待降節第四主日礼拝といたしました。
鹿児島加治屋町教会では、「光は闇の中で輝いている」というテーマを掲げて、このアドベントとクリスマスの時を歩んでいます。同時に4月から読み進めています聖書日課の中の言葉をテキストにするということも続けています。ペトロの手紙二に入ります。今日はペトロの手紙二の中にある1章19節の言葉、「明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで」という言葉を軸にして、お話しようと思います。
ペトロの手紙二は、ペトロの手紙一と同様、イエス・キリストの弟子であったペトロによって書かれたようになっていますが、実際はもう少し後の時代の教会の指導者が、シモン・ペトロの名前を借りて、その時代の教会の人々の前で読まれるために書かれたと言われています。
3章1節には、「愛する人たち、今私は、あなたがたにこの第二の手紙を書いています」と書かれていますが、実は第一の手紙とも違う人によって、恐らく二世紀の前半に書かれたであろうと言われています。
(2)終わりの時は来ないではないか
では、この文書は、どのような状況において書かれたのでしょうか。「イエス・キリストの再臨、そして世の終わりはすぐに来る」と思われ、そのように言われていました。しかしいつまでたっても、それが起こらないというあせり、疑い、ひいては嘲笑が大きくなっていきました。それは、3章4節に引用されている声に代表されるでしょう。3章3節後半から読みます。
「終わりの日には、嘲る者たちが現れ、自分の欲望のままに振る舞い、嘲って、こう言います。『主が来られるという約束は、一体どうなったのか。先祖たちが眠りに就いてからこの方、天地創造の初めから何も変わらないではないか。』」(ペトロ二3:4)
「終わりの日には、嘲る者たちが現れ」と書いてありますが、これは少しややこしいかもしれません。イエス・キリストと同時代人であるペトロが、将来を見据えて書いたという設定になっているので、「預言」のようになっていますが、本当の筆者は、「今」の時代の嘲笑を、取り上げているのです。もう50年以上が経ってしまっている。もしかすると、100年近い時が経っていたかもしれません。
そういう中で、「いや必ず主は来られる。油断するな。清い信仰を保ちなさい」と告げるのです。
そう考えてみますと、これはある意味で、21世紀に生きる私たちにも同じように当てはまることでしょう。いや2000年も経ってしまったのですから、もっと当てはまると言えるかもしれません。この2000年間、世の終わりは来なかったではないか。
聖書は、イエス・キリストが終わりの日に再び帰って来られて、この世界を完成してくださるということを約束しています。ですから、私たちは、今も、その日を待ち望み、困難を乗り越えながら過ごしているわけです。言い換えれば、闇の中にあるような時でも、必ず光が来ることを知っている者として、それを待ち望んで生きるということであります。
それはまさにアドベント的な生き方です。アドベント(待降節)の時を過ごすということはその年のクリスマスを待ち望むということだけではなく、終末の日に向けての備えをするということでもあるのです。
(3)山上の変容の「目撃者」として
そのようなことを念頭において、もう一度、先ほど読んでいただいた1章16節以下を見てみましょう。
「私たちは、私たちの主イエス・キリストの力と来臨をあなたがたに知らせるのに、巧みな作り話に従ったのではありません。この私たちが、あの方の威光の目撃者だからです。イエスが父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、次のような声がかかりました。『これは私の愛する子、私の心に適う者。』私たちは、イエスと共に聖なる山にいたとき、天からかかった声を聞いたのです。」(ペトロ二1:16~18)
これは、マタイ、マルコ、ルカ福音書にそれぞれ出て来る「山上の変容」と呼ばれる出来事に基づいています。マタイでは、こう記されています。17章1節以下です。
「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。」(マタイ17:1~3)
「ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、雲の中から、『これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け』という声がした。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。」(マタイ17:5~6)
この後、イエス・キリストはその場にいた3人の弟子たち、ペトロ、ヤコブ、ヨハネに対して、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」(マタイ17:9)と命じられました。しかし復活の後、このエピソードは広く伝えられていたのでしょう。ですから、ペトロの手紙二の著者も、ペトロの立場に立って、この言葉を記したのです。
(4)山上の変容の出来事の意味
この山上の変容の出来事は、福音書の中でも、わかりにくい話の一つです。これがどういう現象であったのかは、いずれにしをわからないでしょうが、これにどういう意味があったのかは考えることができるでしょう。一つは、イエス・キリストはモーセとエリヤという旧約聖書を代表する人物と親しく語り合い、しかもその真ん中におられる。それによって、イエス・キリストが旧約の預言と深い関係にあること、しかもその完成者であることが示されているのでしょう。
もうひとつ、これはイエス・キリストの復活以前の復活物語だと言われます。イエス・キリストが真っ白に輝く栄光の姿は、復活において明らかにされたと言えるでしょうが、それ以前にはその姿は隠されていました。人間イエス、人の子イエスの姿が前面に出ていた。しかしここで「神の子」としての栄光の姿がちらりと見えた。弟子たちはそれを垣間見た、という意味があるでしょう。復活の「目に見える預言」、ビジュアルな預言、あるいは体験としての預言、と言えばよいでしょうか。
ペトロの手紙二の著者は、それを弟子ペトロの言葉として紹介しながら、自分と同時代の人々を励まそうとしました。19節。
「こうして、私たちは、預言の言葉をより確かなものとして持っています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗いところに輝く灯として、この言葉を心に留めておきなさい。」(ペトロ二1:19)
(5)「ダビデのひこばえ」「エッサイの根」
「明けの明星」という言葉は、ヨハネの黙示録では、イエス・キリストご自身がご自分を指す言葉として用いておられます。
ヨハネの黙示録22章16節にこういう言葉があります。新約聖書の最後のページです。
「私イエスが天使を送り、諸教会についてこれらのことをあなたがたに証しした。私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である。」(ヨハネの黙示録22:16)
「ひこばえ」とは何かご存じでしょうか。「切り株や木の根元から出る若芽」のことです。イエス・キリストが「ダビデのひこばえ」であるというのは、クリスマスを預言していると言われるイザヤ書11章1節の言葉を受けています。イザヤはこう預言しました。
「エッサイの根から一つの芽が萌え出で
その根から若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。」
(エッサイというのはダビデのお父さんの名前です。)
「知恵と分別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れる霊。
彼は主を畏れることを喜ぶ。」(イザヤ11:1~3)
ダビデの子孫からそのような者が現れるというのです。
この続きには、クリスマスによく読まれる有名な言葉があります。
「狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。」(イザヤ11:6)
その来るべき存在(救い主)のもとでは、単に人間同士の和解だけではなく、動物たちを含めた世界全体の和解が起こるということが預言されているようです。
そして黙示録においては、イエス・キリストがこう宣言されるのです。
「私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である。」(ヨハネの黙示録22:16)
そしてこう続きます。
「霊と花嫁が共に言う。
『来りませ。』
渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい。」(ヨハネの黙示録22:17)
(6)大村勇牧師の説教「輝く明けの明星」
「明けの明星」ということで、私には忘れられない説教があります。それは、私が阿佐ヶ谷教会の伝道師になった年のクリスマスイブ礼拝でした。すでに引退しておられた元阿佐ヶ谷教会の大村勇牧師が、浜松の「エデンの園」という老人ホームから阿佐ヶ谷に戻ってこられて「輝く明けの明星」と題する説教をしてくださいました。私はその礼拝の司会を務めていました。そこで大村勇牧師はこう語られました。
「皆さんは東京に生活しておられて、明けの明星というものをご存じでしょうか。見たことがあるでしょうか。わたしは遠州の浜松在、三方が原というところに住んでいて、今でも毎朝六時前にまだ夜が明けないときに、あたりを散歩するわけです。今年は雨があまり降らないので、ほとんど毎日、よく晴れた静かなまだ夜の明ける前の空に、夜明けの明星が、きらきらと大きく輝いているのを毎朝見て散歩しているわけであります。実に夜明け前の空に輝く美しい光であります。
昔の人たちは皆、光のない世界で夜を労働したりいろいろ悩み悲しんだりして過ごしました。それらの人たちは明けの明星が輝くときに、ああ夜が明けて朝が来るんだということを実感したでしょう。これはわれわれが、無理矢理するのではなくて、人間の力を超えた神さまのわざが、暗い夜を過ぎ去らせてくださるのであります。『夜は夜もすがら泣き悲しむとも、朝(あした)には喜び歌わん』という詩編の言葉(30:5)があります。ところが、その空に輝く明けの明星というのを、イエスご自身が「わたしは明けの明星である」と言っておられるのであります。もちろんこれは象徴的な言い表し方でありますが、このときに古代人が、自分たちの要求や力を超えて、神様が夜のとばりをかいくくぐり、新しい朝を与えてくださると考えたのでしょう。明星が輝いて、だんだん東の空が明るくなって来て、アサヒがあがりかかってくると、明星はいつのまにか消えているわけであります。つまりこういうことを聖書がわれわれに告げているのであります。
イエスが『わたしは明けの明星である』というとき、そこに暗い夜が明けて朝が来るのであります。目に見える形を超えて、全世界、全人類、すべての被造物の運命にかかわるまったく新しい積極的な神様の支配、、神様の支配する日、夜明けが、今近づいている。新しい時代が明けそめているんだということをイエスは『わたしは明けの明星である』と言われているのであります。」(大村勇説教集『輝く明けの明星』428~9頁)
(7)神は忍耐して待っておられる
そのように終わりの日を待ち望むことを訴えたペトロの手紙二の中から、特に印象深い言葉を、最後に二つ紹介します。
ひとつは、3章8節以下です。
「愛する人たち、この一事を忘れてはなりません。主のもとでは、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。ある人たちは遅いと思っていますが、主は約束を遅らせているのではありません。一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(ペトロ3:8~9)
神の日が来るのが遅いと思っているのは、神様が忍耐しておられるからだ。神様にしてみれば、ぱっと早く終わらせてしまったほうが楽かもしれませんが、そうではなく、人がみんな悔い改めて、神様のほうに立ち返っていくようにと待っておられるのです。
(8)「待ちつつ急ぎつつ」という姿勢
もうひとつの言葉もそれと関係がありますが、3章12節の言葉です。
「神の日を待ち望み、それが来るのを早めなさい。」(ペトロ二3:12)
これは不思議な言葉です。私たちが神の日を早めることはできるのでしょうか。できないのではないか。そういう議論もあるでしょう。しかし、その日に向かって、私たちはそれが早く来るようにと働かなければならない、ということを言い表しているのでしょう。
この言葉は、私が神学生時代に深く感動して読んだ本、井上良雄という方の『神の国の証人 ブルームハルト父子(おやこ)』という本の副題にもなっていました。「待ちつつ急ぎつつ」という副題です。このペトロの手紙二3章12節の言葉は、父ブルームハルトと言われるヨハン・クリストフ・ブルームハルトの愛唱聖句でもありました。
井上良雄先生は、父ブルームハルトの生き方をこう説明されています。
「『待つこと』と『急ぐこと』は、互いにどのように調和するのか。この場合、『待つこと』のほうが『急ぐこと』に先行する。われわれが主の来臨を開始することはできず、主の来臨の日は、まったく主の御手の中にあるのだから、われわれは先ずもって、その日を待たなければならない。しかし、その場合、われわれは、主の到来に対する準備が急を要するかのように-待つことと主の実際の到来の間に何の間隙(かんげき)もないかのように、待たなければならない。待つ者は、いつも、主が日ごとに来られるかも知れないということを、考えていなくてはならない。したがって、たとえ来臨の時が遅延しても、忍耐して待たなければならないと同時に、自分はもう安心だと思わないという、急ぐ姿勢が必要である。」(井上良雄『神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ』199頁)
この「待ちつつ急ぎつつ」という姿勢は、一見矛盾するようですが、その姿勢がまさに私たちの生きる姿です。「主よ、来りませ」と急を要するかのように祈ること、私たちがアドベント的な生き方をすること、そのことをよく表しているのではないでしょうか。しかも私たちには、預言が夜の灯として与えられて、明けの明星を待っている。そのような時を過ごしていることを心に留めたいと思います。