2021年11月21日説教「先 導」松本敏之牧師
出エジプト記13章8~22節
ヨハネによる福音書8章12節
(1)出エジプトの記念の儀式
月に一度くらいのペースで、出エジプト記を読み進めています。
今日は13章をテキストにお話ししたいと思います。最初に簡単に前半の「初子を献げる」と題された1~16節に触れておきましょう。
このところはエジプト脱出について記したまとめの部分です。これまでのことを振り返りながら、これから何をしていなければならないかが語られます。この部分で印象的なことは、神様がイスラエルの民にしてくださったことが繰り返し語られることです。「主は力強い御手をもって、あなたがたを(私たちを)導き出された」ということが4回も述べられます(3、9、14、16節)。その他に、8節、15節でも別の表現で、神様がしてくださったことが語られています。それを思い起こすことがその後のイスラエルの歴史の原点、原体験となります。感謝して思い起こすために、そして忘れないために、さまざまなことをするように命じられます。ひとつは種入れぬパンを食べること(3、6~7節)。もうひとつは人も家畜も初子を献げることです。そして人間の初子の代わりとして贖いのささげものをするのです(1~2、11~16節)。
さらにそれを、子どもたち孫たちに、伝えていかなければならないということが命じられます(8、14節)。「どうしてこんなことをするのか」と子どもたちに尋ねさせて、「それはね、昔々、私たちの先祖がね」と語るようにしたのです。そして絶対に忘れることがないようにこんなことまで命じられています。
「あなたは、この言葉を自分の手に付けてしるしとし、また、額に付けて記念としなさい。それは主の律法があなたの口にあるためであ(る)。」(9節)
そのことは最後の16節でも繰り返されます。その儀式をユダヤ人たちは、今日にいたるまで守り続けています。これは紀元前1300年頃のことですから、4300年(4300回)も続けているのです。それは驚くべきことであると思います。
(2)迂回ルート
さてイスラエルの民は、とうとうエジプトを脱出しました。13章17節から新たな部分に入り、舞台はいよいよエジプトの外に移ります。エジプトの王ファラオは、国中の長男や家畜の初子が次々と死んでいくのを目の当たりにして、モーセとモーセの率いるイスラエルの民に対して、疫病神でも追い出しでもするかのように、「一刻も早くこのエジプトから出ていけ」と命じました。その背景には神様のイスラエルの民に対する配慮があったことは、これまでも申し上げてきました。
しかしいざイスラエルの民を去らせてしまうと、ファラオの心は再び一変いたします。次回改めて読むことになりますが、14章5節のところで、「私たちは何ということをしたのだろう。私たちに仕えさせることなく、イスラエル去らせてしまうとは」と、ファラオは嘆くのです。そして軍隊をもって彼らを追いかけてきます。
一方、イスラエルの民は、まだそんなことを考える余裕はなかったかも知れません。エジプトを出ることができた喜びに満たされていたことでしょう。しかし神様はすでにすべてをご承知です。このように語られます。
「ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ人の住む道に導かれなかった。実際それは近道であったが、民が戦いを目前にして後悔し、エジプトへ戻るかもしれない、と神は考えたからである。そこで神は葦の海に通じる荒れ野の道へと民を向かわせたので、イスラエルの人々は隊列を整えてエジプトの地から上った。」(13:17~18)
聖書巻末の地図をご覧ください。聖書協会共同訳聖書では、最後のページから二つ目、「2エジプトとシナイ」という地図です。新共同訳では、「2出エジプトの道」と題されています。その中に、聖書協会共同訳では赤い線で、新共同訳では点線で、出エジプトのルートが記されています。どちらも左上の方がエジプトです。ここにゴシェンという地域があり、ラメセスという王の名前を冠した町があります。聖書協会共同訳では、「ラメセス?」とクエスチョンマークがついています。ここから出発したのです。
そしてユダヤ方面へ向かうのに直線コースをたどらないで、ぐるっと南の方を迂回しているのがおわかりかと思います。直線コースの道がなかったわけではなく、ここに「ペリシテ人の住む道」がありました。聖書協会共同訳の地図では、ゴシェンのスコト(20節)という町からほぼまっすぐ東に(右に)向かって、緑の線で主要通商路と書かれた道があります。しかしそこを通らずにわざわざ荒れ野に導かれたのです。
(3)神は先の先まで読んでおられる
神様は、時々こういうことをなさいます。これから起こるであろうことを先の先まで読んで、迂回させられるのです。この場合で言えば、一つ先ではなく、二つ先、あるいは三つ先まで読んでおられる。一つ先ということであれば、「神はエジプトの軍隊が追いかけてくるのを知っておられたので、追いかけて来そうな近道を避けて、目立たない荒れ野に迂回させられた」ということになるでしょう。
しかしそうではないのです。イスラエルの民がもう後戻りする気にならないように、荒れ野の道に誘導されたというのです。ですからエジプトの軍隊が追いかけてきた段階では、彼らはまだ神様の御心がわかりません。「なぜ神はこんなひどいことをされるのか。私たちをこの荒れ野でエジプト人の手で殺させたかったのか」と思ったのではないでしょうか。実際、この後の14章12節では、「荒れ野で死ぬよりはエジプト人に仕えるほうがましです」と不満を述べるようになります。もしもこれが街道沿い、ペリシテ人の住む道だったら、来た道に沿って、一人二人、いや家族単位で引き返した人たちもあったかも知れません。
しかしここは荒れ野です。もう引き返せないのです。隊列を整えていかないと前にも後ろにも進むことはできません。神様はそのようにしてエジプトへの退路を断たれたのでした。彼らには前進するしか選択肢がありませんでした。神様の御心は、このもう一つ先まで行って、はじめて明らかになるのです。それは神が道を拓き、エジプトの軍隊の追っ手を絶たれる時でありました。その出来事のために、わざわざ迂回路を通らせたのです。
(4)御心が分からない時にも
私たちの人生にも時々そういうことがあるのではないでしょうか。喜びの頂点からどん底に突き落とされるようなことは、あるものです。せっかく願っていた学校に入ったのに、大きな病気にかかって学校に行けなくなってしまった。せっかく願っていた大企業に入り、もう安泰だと思っていたのに、急に倒産になってしまった。あるいは自分自身がリストラの対象になってしまった。順調に行っていた商売が、コロナ禍で急にうまくいかなくなってしまった。縁談が急に破談になってしまった。家族の大黒柱が、急に亡くなってしまった。家族が途方に暮れてしまう。そういうことは、時々起きるのです。しかももう引き返すにも道がありません。
私たちもこの時のイスラエルの民と同じような経験をします。喜び勇み、神様に感謝をしたとたんに、急にどんでん返しのように窮地に追い込まれる。しかも神様の御心がわからない。もう一つ先までいかないとわからないのです。もしかすると二つ先まで、あるいはずっと先まで行かないと、神様の御心が分からないということもあるでしょう。しかしそういう中にあっても、神様は必ず逃れの道を用意してくださっています。使徒パウロはこう言っております。
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリント一10:13)
神様はその試練によって、私たちが神様から離れてしまうのではなく、むしろそこで信仰を確認し、神様へと立ち帰っていくことを求められておられるのです。
(5)聖書はスケールが大きい
「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが『神は必ずあなたがたを顧みられる。その時、私の骨をここから携えて上らなければならない』と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。」(13:19)
これも気の遠くなるような長い年月の話です。イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は、12章40節によれば430年ということですから、ヨセフが頼んだのは、実に430年も前ということになります。ヨセフはこう語っていました。
「私は間もなく死にます。しかし神は必ずあなたがたを顧み、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」「神は必ずあなたがたを顧みてくださいます。その時には、私の骨をここから携え上ってください。」(創世記50:24~25参照)
それが今、ここに実現しようとしている。聖書というのは、何とスケールの大きな話、長い年月の話をしていることかと思います。
私たちは、本当に目先のことしか念頭にありません。せいぜい10年先位のことしか視野にありません。しかし聖書は世代を超えた話、それも何世代も何世代も超えた話をするのです。
(6)確かなナビゲーター
「一行はスコトをたち、荒れ野の端にあるエタムに宿営した。」(13:20)
このスコトという町は先ほど地図で確認しました。
「主は彼らの先を歩まれ、昼も夜も歩めるように、昼は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らを照らされた。昼は雲の柱、夜は火の柱が民の前を離れることはなかった。」(13:21~22)
この「雲の柱、火の柱」というのは、エジプト脱出をしたイスラエルの民に対する神の臨在と導きのしるしでありました。この後も何回も出てきます。次の14章では、このように出てきます。
「イスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは移動し、彼らの後ろから進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移動して、彼らの後ろに立ち、エジプトの軍とイスラエルの軍の間に入った。雲と闇があって夜を照らしたので、一晩中、両軍が接近することはなかった。」(14:19~20)
この雲の柱は、ただ前を進むだけではなく、時に後ろへまわり、イスラエルの人々とエジプトの軍の間へ入り込み、イスラエルの人々を守る役割を果たしました。このようにも記されます。
「朝の見張りのとき、主はエジプト軍を火と雲の柱から見下ろされ、エジプト軍をかき乱された。」(14:24)
神様御自身が、その雲の柱、火の柱の間から顔をのぞかせて、見守られるのです。このエジプト軍との戦いにおいてだけではありません。その後の長い旅路においても、ずっと道しるべとなるのです。
現在はカーナビという便利なものがありますが、この雲の柱、火の柱はカーナビ以上のナビゲーターです。ただ単にどちらに行くべきかというだけではありません。出発するべきか泊まるべきかも教えてくれました。カーナビはそういうわけにはいきません。
出エジプト記の最後には、こう記されています。
「会見の幕屋を雲が覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは、会見の幕屋に入ることができなかった。その上に雲がとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。イスラエルの人々はいつも、雲が幕屋の上から離れて昇ると、旅立ち、雲が昇らないと、昇る日まで旅立たなかった。旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火があるのを、イスラエルの家は皆、目にしていたからである。」(出40:34~38)
ここでは「柱」とは書いてありませんが、「雲」が、そして夜はその雲の間から「火」が導いてくれたというのです。
(7)イエス・キリストは神の臨在のしるし
「会見の幕屋」というのは、新共同訳聖書では「臨在の幕屋」と訳されていました。「臨在」とは「共におられる」という意味です。この雲の柱、火の柱は、目に見える神様の臨在のしるしでありました。「目に見える神様の臨在のしるし」というのは、新約聖書においてイエス・キリストという形でより明らかになります。イエス・キリストがお生まれになる時に、天使がマリアの夫ヨセフに現れて、「その子はインマヌエルと呼ばれるであろう」と告げましたが、このインマヌエルとは、「神は私たちと共におられる」ということに他なりませんでした(マタイ1:23)。神様は、イエス・キリストによって、その臨在をはっきりと目に見える形でお示しくださったのでした。
またイエス・キリストはこうも語られました。
「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)
この言葉を語られたのは、出エジプトを記念する仮庵祭の時でありました。仮庵祭の初日には、エルサレム神殿の中庭の「女性の庭」と呼ばれるところに、4つのたいまつを置いて火を灯したそうです。そこで火が焚かれると、エルサレム中が照らされました。エルサレム神殿は標高800メートルの高台にありましたので、エルサレムの遠いところからでもその火を見ることができました。この仮庵祭に火を焚くという行事は、出エジプトの「夜は火の柱をもって彼らを照らされた」ということに由来しています。その祭りのその場所で、イエス・キリストは「私は世の光である」と語られたのです。まさに、「神は私たちと共におられる」ということが目に見える形で示されたと言えるでしょう。
さらにマタイ福音書の最後のところでは、こう約束の言葉を述べられました。
「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:29)
この約束は聖霊によって実現され、それは今日にいたるまで続いています。雲の柱、火の柱として、目に見える形でその臨在をお示しくださった神様は、それをイエス・キリストによってより確かなものとし、さらに聖霊によって、今も私たちと共にいてくださるのです。