1. HOME
  2. ブログ
  3. 2021年11月14日説教「ガマリエルの知恵と信仰」松本敏之牧師

2021年11月14日説教「ガマリエルの知恵と信仰」松本敏之牧師

使徒言行録5章27~42節

(1)未来志向のルカ

鹿児島加治屋町教会の聖書日課は、先週の月曜日から使徒言行録に入りました。皆さん、読んでおられますか。何度も申し上げていますが、どこからでも、いつからでも始められますから、どうぞ今週からでもご一緒に読んでいきましょう。

いつものように使徒言行録という書物について簡単にお話しておきましょう。

まず「著者は誰か」ですが、伝統的には、パウロの伝道旅行に同行した医者のルカであったと言われます。しかし今日の聖書学では、ルカ福音書同様、パウロの同行者で医者のルカが使徒言行録を書いたと考えるのは難しいと言われます。ただしルカ福音書の著者と使徒言行録の著者が同一人物であるということは間違いありません。便宜上、ルカと呼ばせていただきますが、そのルカがその続編として書いたものが使徒言行録です。

福音書の違いについてお話した時に、こんなことを申し上げました。マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書の三つは共通する部分も多々あるので、共観福音書と呼ばれます。それもそのはず、マタイとルカはマルコ福音書を共通の資料として用いているのです。いわばマタイとルカは、マルコから生まれた姉妹のようなものです。ただしマタイとルカは想定読者と執筆目的が違うのです。マタイは主にユダヤ人に向かって、「旧約聖書で預言されている救い主が誕生した。その方こそがイエス・キリストこそだ」ということを知らせたいのです。ですから旧約聖書の引用も一番多いのです。一方ルカは、「その方はユダヤ人の救い主であるだけではなく、異邦人の救い主でもある。その福音は世界に向かって広がっている」ということを知らせたいのです。マタイが伝統志向であるのに対して、ルカは未来志向です。

ですからルカ福音書を書いた後に、その後の物語、イエス・キリストの十字架と復活以降、福音がどのように進展していったのかを書くことは自然であったし、必然でもあったということができるでしょう。ルカはそれを使命と考えていた。そこまで書かないと終わらないと思っていたことでしょう。

ルカ福音書の執筆年代は、早くて70年代後半、遅くて90年、恐らく80年頃と申し上げましたが、使徒言行録もその直後位に書かれたと思われます。

(2)使徒言行録の始まり

使徒言行録は、このように始まります。

「テオフィロ様、私は先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指示を与え、天にあげられた日までのすべてのことについて書き記しました。」(使徒1:1~2)

この「第一巻」というのが、先ほどから申し上げていることからおわかりのように、ルカによる福音書です。そしてこう続けます。

「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」(使徒1:3)

ルカ福音書の最後は、こういう言葉でした。

「それからイエスは、彼らをベタニアまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに戻り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(ルカ24:50~53)

一応、そのように完結していました。ルカ福音書は復活だけではなく、「天にあげられた」という「昇天」のことまで記していました。初代のクリスチャンたちの様子も、ちらっと描いている。ですから内容として、少し使徒言行録と重なっています。連続テレビドラマで言えば、「予告編」をちらっと見せて「To Be Continued. つづく」という感じでしょうか。ルカとしては、たとえ続きの「使徒言行録」が書けなかったとしても、あるいは福音書しか読むチャンスのない人がいたとしても、最小限のことは記しておきたい、と思ったのでしょう。

さてそれを受けて、使徒言行録のほうでも、少し重ねて書きます。復活後の、地上での生活は40日間であったということも3節で述べられていました。そして昇天のことも、より詳しく、よりリアルに描いています。1章9節以下です。

「こう話し終わると、イエスは彼らが見ている前で天に上げられ、雲に覆われて見えなくなった。イエスが昇って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い衣を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたイエスは、天に昇って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またお出でになる。』」(使徒1:9~11)

(3)ペンテコステ

この最後の言葉は、イエス・キリストの再臨を預言していると思われますが、その前に聖霊降臨、ペンテコステがあります。2章1節でこう述べられます。

「五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同が聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。」(使徒2:1~4)

これは使徒言行録の中で最も有名な言葉、最もよく読まれることばでありましょう。年に一度、ペンテコステの日にはほとんど必ず読まれます。

「五旬祭」とは「五十日祭」ということです。日本語でも、「旬」という漢字は、「10日」を意味します(上旬、中旬、下旬など)。何から五十日かと言えば、ユダヤ教の過越祭からです。イエス・キリストは、この過越祭の時に十字架にかけられて復活しましたので、キリスト教的に言えば、イースターから50日目に聖霊降臨が起きたということになります。ですからペンテコステはイースターから数えて50日目の日曜日にお祝いするのです。「教会がここから始まった」ということで「教会の誕生日」とも言われます。

(4)コンツェルマン「時の中心」

ルカの記述の特徴の一つは、時間の流れを意識していることです。コンツェルマンという神学者は、ルカ福音書の神学書を書いて『時の中心』と名付けました。それは救済史(神様の救いの歴史)についての本ですが、その「中心」に、イエス・キリストの働きがあるというのです。それは、旧約聖書に示されている「律法と預言者」の「待望の時代」、キリストの昇天、聖霊降臨に始まる「教会の時代」(それはやがて来るイエス・キリストの再臨によって終わるのですが)、その時の中心にあるのがイエス・キリストの時代である、ということです。

ルカによれば、十字架と復活から昇天と聖霊降臨にも時間の流れがあります。

イエス・キリストが地上に人として来て、人として歩まれたのは約30年間です。それがいわば「時の中心」です。そして十字架にかかって三日目に復活されるまで、厳密に言いますと、金曜日の日没から日曜日の夜明けまで(計算すると約36時間ありますが)、陰府におられた。それからさらに40日間、何らかの体をもって地上に留まられた。弟子たちと一緒に焼き魚を食べたとも書いてあります。

「イエスは『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」(ルカ24:42)

そして40日後に天に上げられて、過越祭から50日目に聖霊降臨があるので、引き算をすると昇天から聖霊降臨の間は10日間であったということになります。それから教会の時が始まっていくのです。まとめると、30年、36時間、40日間、10日間、そして教会の時代に入っていくということです。

私たちはそのルカの救済史観をもとに、教会暦なども組み立てています。しかし例えばヨハネ福音書などではそうではありません。ヨハネ福音書では、イエス・キリストが捕らえられて十字架にかけられた後、弟子たちは恐れて鍵をかけて家に閉じこもっているのですが、復活のイエス・キリストがそのドアを通り越えて部屋に入って来て「あなたがたに平和があるように」と告げられます。そしてそのすぐ後で「聖霊を受けなさい」と言って息を吹きかけられるのです(ヨハネ20:19~23)。ですからヨハネ福音書では、復活イコール聖霊降臨と言えます。ヨハネが書いた使徒言行録というのはありませんので。しかしルカでは、明確な時間区分というのがあるのです。

さらに数字にこだわるのも、ルカの特徴です。12人の使徒からイスカリオテのユダがいなくなって、補欠を選ぶことになります。そしてくじでマティアという人が選ばれるのですが、その頃の信者の数は120人ほどであったとのことです(使徒1:15)。そしてペンテコステを経て、ペトロが力強い演説をして信じる人が増えていきます。2章の終わりのところでは3千人に増えています(使徒2:41)。さらに4章4節のところでは、「二人(ペトロとヨハネ)の語った言葉を聞いて信じた人は多く、その数は5千人ほどになった」と記されています。だんだん増えていく様子がわかります。

(5)いらだつ当局

しかしそのように増えていくのを、ユダヤ教の当局も黙って見ていられなくなってきます。そしてペトロとヨハネは議会で取り調べを受けることになるのです。その際に、二人は大胆にこう語りました。

「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒4:12)

先ほど、マタイ福音書とルカ福音書の違いをお話しました。マタイは、ユダヤ人たちに向かって、「このイエスこそ自分たちが待ち望んできた救い主に他ならない」と知らせようとしていると申し上げました。使徒言行録を書いたのはルカですが、内容としては、ここで述べられていることは、マタイが関心をもっていたことがテーマになっていると言えるでしょう。

さてここで取り調べをしているほうがたじたじとなります。当局は「今後あの名によって誰にも話すな」と脅すのですが、ペトロとヨハネはこう切り返します。

「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、ご判断ください。私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使徒4:19~20)

当局は、さらに彼らを脅した上で釈放します。しかしペトロとヨハネなど使徒たちは語ることをやめず、大祭司とその仲間たち、サドカイ派の人々は皆、妬みに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れてしまいます。ところが夜間に主の天使が牢の戸を開けて、彼らを外に連れ出してしまうのです。そして再び神殿の境内で語り始めます(使徒4:17~20)。

当局側の怒りはどんどん膨らんでいきます。そして使徒たちは再び捕まえられて、最高法院に引き出されるのです。ユダヤ教の最高権威です。裁くほうは怒り狂っています。

(6)人に従うよりは神に従う

ようやく今日の聖書箇所にたどり着きました。もちろんこれまでのお話も単なる導入ではありません。今日の箇所から大事なことを二つお話します。一つは29節のペトロと使徒たちの言葉です。

「人に従うよりは、神に従うべきです。」(使徒5:29)

非常に力強い言葉です。4章19節でも同じようなことを述べていました。イエス様も弟子たちに向かって、「何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される」(マタイ19)と言われましたけれども、それと同じようなことがここでも当てはまるでしょう。どんなに封じ込められようと、真実を語り続けなければならない。神の命じるところ、あるいは良心に従って、というふうに言ってもよいかもしれません。

それを語ると、人々の反感を買い、状況が状況である時には、独裁者のいるようなところでは、殺されるかもしれない。それでも真実を語ることの大切さを思います。それは神に従うことだと言うのです。

(7)神に逆らう者となるかもしれない

さて二番目。使徒たちの言葉を聞いた人々は「激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた」(使徒5:33)というのですが、ここで不思議なことが起こります。ガマリエルという人が立ち上がって、こう語り始めました。

「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数4百人くらいの男が彼に加わったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、従っていた者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。放っておくがよい。あの計画や行動が人から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」(使徒5:35~39)

いかがでしょうか。それが人間から出たものであれば、つまり神から出たものでなければ、放っておいたら自滅するというのです。逆に神から出たものであれば、どんなに抑え込もうとしても抑え込むことはできないだろう。そして知らずして神に逆らうことをしているかもしれない。結論からすると、どちらにしても、手を引いた方がいい、ということです。

とてもおもしろいですね。私は、この箇所がとても好きです。そして今日の世界に対しても、とても大事なことを語っているのではないかと思います。

私たちがかーっとなって、この人たちの立場で言えば、「汚されている」と思うような時、「なんとかしてやっつけたい。それが神様のためだ」と思うかもしれない。けれども、ちょっと立ち止まって一歩下がって冷静に考えてみる必要がある。そして神の手に委ねるのです。パウロもこう述べています。

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われます。」(ローマ12:19)

この時は、イエス・キリストを信じる人たちが殺されそうになった側ですが、逆にイエス・キリストを信じる人たちが怒って、誰かを裁き、殺そうとする側になるかもしれない。中世の魔女裁判がまさにそうでありました。

(8)日本基督教団においても

私たちの属する日本基督教団においてもこういうことが起こりかねないし、実際10年あまり前にこれに近いことがあったということを、私は思い起こすのです。

デリケートな部分がありますので、私もガマリエル同様、慎重に発言しなければなりませんが、ある教会である牧師が聖餐式をオープンにしました。「どなたでもどうぞ」という形で聖餐式をしたのです。それに対して、日本基督教団の総会や常議員会で、「それは教憲教規違反だ」というふうに紛糾いたしまして、最終的に、その牧師は免職処分になりました。

それは、彼にしてみれば、「神に従うことだ」ということであったでしょう。しかもそれはその牧師個人のやったことではなくて、その教会の決断でありました。私たちはそういう時に、ガマリエルから学ぶということが求められるのではないかと思い、そう発言しました。

他のことにしろ何にしろ、私たちはそこで「本当の神様がおられる。正しい裁きは神様がしてくださる」という信仰をもって、なすべきことをしていかなければならないのだろうと思います。

関連記事