2021年10月3日説教「復活後の聖餐と世界宣教」松本敏之牧師
ルカによる福音書24章28~49節
(1)痛みを分かち合う世界聖餐日
本日、10月第一日曜日は、世界聖餐日です。世界聖餐日というのは、「第二次世界大戦の前に、アメリカの諸教派でまもられるようになったもので、戦争へと傾斜していく対立する世界の中で、キリストの教会は一つであることを、共に聖餐にあずかることによって確認しようとしたもの」であります。戦後、日本キリスト教団でもまもられるようになりました。今年は、コロナ禍にあって、聖餐式を行うことができない世界聖餐日となりました。残念な思いもありますが、逆にそういう時期だからこそ、聖餐式を行うことができない現実を通して、世界の痛みを分かち合うことになれば、と思います。日本のコロナの状況はだいぶ良くなってきましたが、世界を見渡すと、特に第三世界と言われる貧しい国々では、もっともっと厳しい状況が続いています。
私は、私たちが行う聖餐式というのは、イエス・キリストと弟子たちによる最後の晩餐に始まり、終わりの日の天国で完成する宴会の、中間地点にあるものだと思います。イエス・キリストも、最後の晩餐の時に、「言っておくが、神の国が来るまで、私は今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(ルカ22:18)と言われました。これは、あなたがたとこうして食卓を囲むのは、これが最後だと告げる別れの言葉ですが、ひっくり返して読めば、「神の国が来る時には、再びぶどうの実から作ったものを飲むことになる」ということでありましょう。
つまり、最後の晩餐で「私の記念としてこのように行いなさい」(ルカ22:19)と言われた通りに、信仰をもってそのことを思い起こす時であり、同時に神の国が来る時の宴会を、希望をもって幻として思い起こす時、いわばそうした長い旅の途上の宴のようなものです。だからそれは未完成の、いわば破れのある宴なのです。今日、私たちがその宴を行うことができないということ自体が世界の破れを象徴していると思います。早くこの破れがなくなるように、祈りをもって、世界聖餐日を過ごしましょう。
(2)世界宣教の日
世界聖餐日というのは、世界的な行事ですが、日本キリスト教団では、この日を独自に世界宣教の日と定めています。それは、「キリスト教会は主にあって一つなのだから、世界宣教を共に担う祈りと実践の日」(大宮溥、『信徒の友』2004年10月号より)としようということで定められました。
日本基督教団では、毎年、この日にあわせて、「共に仕えるために」という宣教師たちの報告書(小冊子)を発行しています。私もブラジルで宣教師をしていた時には、毎年、報告を書いて、日本の諸教会に覚えて祈っていただきました。
今年の報告書には、18人(件)の報告が記されています。その中で今日は、私が「共に歩む会」の共同代表を務めています、小井沼眞樹子宣教師のことを少し紹介させていただきます。小井沼眞樹子宣教師は一昨年2019年の10月に、鹿児島加治屋町教会に来ていただき、説教と宣教報告をしていただきました。そして現在も、何人かの方が共に歩む会の支援をしてくださっています。小井沼眞樹子宣教師は、現在の任地、ブラジル、サルバドールのヴァレリオ・シルヴァ合同長老会で3年任期の2期目の終わりに差しかかっておられます。6年目ということです。ご本人によれば、任期を更新しないで、今年いっぱいでお働きを終えられるご意向のようです。このように記しておられます。
(3)小井沼眞樹子宣教師の報告
「ブラジルではワクチン接種の効果が顕在化しつつあり、近頃はコロナ新規感染者数が減少傾向にあります。私も4月中旬に2回目の接種が済み、5月から免疫が確定しましたのでホッとしています。(ご本人のフェイスブックの投稿によれば、最近3回目の接種を受けられたそうです。)多くの皆さんが小さな者のためにお祈りしてくださることを、こころから感謝しております。
サルバドールはポルトガルによる植民地時代に奴隷売買の拠点だった都市で、アフロ・ブラジル文化発祥の地、人口の80パーセントが黒人系です。貧富の差は一目瞭然で、高層ビル街と隣り合わせに、マッチ箱を積み上げたような貧困層地区が至るところに広がり、私たちの教会もその一角に建っています。この地に100年以上前に伝道拠点が据えられ、そこから教会へと発展して61年経ちました。ですが、地域に住む信徒が高齢化して、会堂へたどり着くまでの階段を上れなくなり、伝道にも立地条件が不適当です。また、この地区には子どもたちや若者に相応しい教育施設や活動が全くなく、犯罪が多発する環境です。そこで、2016年に赴任して以来、平地への新会堂の建設と、旧会堂をリフォームして地区センターとして活用するプロジェクトを立ち上げ、多くの方々のお祈りと尊いご支援によって進めてまいりました。任期は今年の年末で満了になりますが、お陰様で新会堂はほぼ完成し、目下、内部の用具や備品を購入設置しているところです。それが済んだ後は、旧会堂のリフォームに取り掛かります。恐らく、年内には献堂式の運びとなる見通しです。
昨年来、外出自粛で一人アパートに閉じこもる日々でしたが、宣教師としてこの地に果たすべき使命を全うして任期を終えることができそうで、感謝に堪えません。『新しい革袋に新しいぶどう酒』を満たすのは現地の牧師方と信徒たちに委ねて、6年間、過ごしたサルバドールを去る日が近づいてくるのを惜しみながら過ごしています。」
少し長い引用になりましたが、小井沼眞樹子先生の生の声をお届けしたいと思いました。また〈サルバドール〉という「共に歩む会」の会報が届いていますので、より詳しいことは、どうぞそちらをご覧ください。私も「共に歩む会」の共同代表の責任を無事に終えることができそうで、ほっとしています。
(4)エマオ途上のキリスト
さて、鹿児島加治屋町教会独自の聖書日課は、今週はルカ福音書の終わりの部分です。本日の聖書箇所も、今週水曜日10月6日の日課から、ルカ福音書の最後の言葉を選ばせていただきました。
今日お読みいただいた箇所の直前、24章13節から27節は、「エマオ途上のキリスト」と呼ばれる物語です。
イエス・キリストが十字架にかけられ、死んで葬られた後のことです。二人の弟子がエルサレムから10キロ余り離れたエマオへ向かっていました。一人の名はクレオパ、もう一人の名前は記されていません。二人は意気消沈してとぼとぼと歩いていましたが、そこに一人の旅人が同行します。彼は、最近のエルサレムでの出来事を知らないようでしたので、二人は説明をしてあげました。その旅の同行者が実は復活のイエス・キリストであったのですが、二人の目は遮られて、それが誰であるか悟ることはできませんでした。
そこで旅人は言いました。「ああ、愚かで心が鈍く、預言者たちの語ったことすべてを信じられない者たち、メシアは、これらの苦しみを受けて、栄光に入るはずではなかったか」(25~26節)。「そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを解き明かされた」(27節)ということです。
エマオに到着します。二人はエマオに宿泊する予定でしたが、旅の人はさらに先へ行こうとします。二人は「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いています」と言って、無理に引きとめたので、その旅の人はそれに応じることになりました。この二人にとっては、単にその旅の人が心配であったということではなく、その人と共に過ごした時間がとても貴重であったので、思わず、そういう言葉が出たのでしょう。叱責されながらも、「この人ともっと一緒にいたい」と思ったのです。
夕食の時間になりました。旅の人は、「パンを取り、祝福して裂き、二人にお渡しに」なりました(30節)。その瞬間、二人の目が開け、これまで自分たちと共にいて、そして今、目の前にいる人がイエス・キリストだとわかるのです。「あっ、イエス様だ!」。すると次の瞬間に、その姿が見えなくなりました。
(5)「主よ、この食卓に来てください」
この物語は、私たちの信仰生活にとって、とても大事な幾つかのことを示唆しています。
第一に、このエマオでの食事は、最後の晩餐をほうふつとさせるものです。主の晩餐そのものです。復活の後の、最初の聖餐式、最後の晩餐を除けば、最初の聖餐式であると言ってもよいかもしれません。何よりもまずその所作がそれを示しています。「パンを取り、祝福して裂き、二人にお渡しになった。」
それだけではありません。その食事は歓迎の行為で始まります。そこで食事の備えをしたのはこの二人であります。この二人がこの旅人を招いたのです。ところが招いたはずのその人がその食卓の主人となるのです。私たちの聖餐式においても、実際には牧師かそれに代わる誰かがその備えをします。しかしそれだけでは聖餐式になりません。そこで主人であるイエス・キリストを迎えるのです。私たち日本基督教団の式文では、そのことは明確に言葉には表れませんが、多くの世界の聖餐式の式文では、「主よ、この食卓に来てください」という言葉が出てきます。
弟子たちは、まず、キリストを言葉(すなわち聖書の解き明かし)によって知りました。それに聖餐式が続きます。これは私たちの礼拝においても同じです。説教があり、それに聖餐式が続きます。それがひと続きで、その順序でなされるということに意味があります。そこで生けるキリストを、み言葉と聖礼典によって経験するのです。
この時、イエス・キリストだとわかった瞬間に、彼はいなくなってしまいました。いや霊的な形で共にいるのに違いないのですが、見えなくなりました。これも私たちと同じです。直弟子たちは、キリストを目で見える形で知っていましたが、第二世代以降の人たち、そして私たちはそうではありません。しかし宣言の言葉によって共におられることを信じるのです。この食卓は、第二世代以降のクリスチャンと第一世代のクリスチャンを結ぶ記事であると言ってもよいでしょう。
(6)思い出すことによって理解する
第二のことは、弟子たちの心の動きです。彼らは、思いだすことによって理解しました。「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」(32節)。キリストが聖書を解説したときの、弟子たちの反応については何も語られていません(27節)。しかし、今やイエス・キリストを食卓で経験した彼らは、彼と路上で話したその時間がかけがえのないものであったことを、後で思い起こすのです。私たちの信仰は記憶と結びついています。
普通、物事は「約束から成就へ」と向かいます。しかし、信仰というのは、しばしば逆コースをたどります。「成就から約束へ」とさかのぼって思い起こすのです。それがなし得た後で、すでにあの時に始まっていたのだということを悟るのです。自分がキリスト教主義の学校へ通っていたこと、子どもの時に教会学校へっていたこと、かつてある牧師と出会ったことを、はっきりとした信仰を得た後で、あの時、すでにキリストは共にいてくださったと悟るのです。
しかしすでに聞いていたことも事実です。私たちは聞いていなかったことを思い起こすことはできないからです。ある註解書には、「ある出来事について知る機会は三回ある」とありました。例えば旅行を思い浮かべてください。
1回目は、その出来事の予行演習の時、旅行で言えば準備の時です。2回目は、まさにその出来事が起こっている時、旅行で言えば旅行中です。3回目はそのことを思い出す時、旅行で言えば、写真などを見ながら思い出す時です。予行演習の時には、まだその出来事が本当に起こるかどうかわかりませんし、それがそれほどに重要であるとはわからないために、理解は妨げられてます。そしてその出来事が実際に起こっている時には、出来事があまりに速い速度で起こっているので、理解が妨げられてしまいます。しかし思い起こす時には、何があったのかをはっきり悟ることができます。この時こそ、重要な旅、結婚、友人たちの集まり、そしてこの場合のような「食卓で見知らぬ人がキリストに代わる」ということを理解できる時なのです。
(7)エルサレムから世界宣教が始まっていく
さてその後の弟子たちの働きにも注意してみましょう。弟子たちが自分たちの見たこと、聞いたことの証人となるのです。二人の弟子たちが、エマオからエルサレムへ戻っていきました(33~35節)。そのこともまた、幾つかの大事なことを示しています。
第一に、彼らは、キリストと出会ったというよい知らせを分かち合います。彼らは、復活のキリストと食卓を共にしたことによって、悲しみと絶望から立ち直り、彼らのその興奮が当然のことながら、彼らを兄弟姉妹のもとへと向かわせたのです。
他の兄弟姉妹たちも、同じように希望のない状態に捕らわれていました。二人の証言は、他の弟子たちに対して励ます意味を持っています。信仰の交わりの中での励まし合いです。まだ世界宣教には至っていない。しかしそれが、信仰共同体、つまり教会の中で繰り返し聞かされることによって、信仰を確実なものとなって、力づけられ、励ましあい、深められていくのです。
第二に、エルサレムへ戻ることで、この二人の弟子の経験は、シモン(ペトロ)の経験(34節)や、他の弟子たちの経験に結びつきます。「私たちもイエスさまと出会った」。復活のキリストと彼らとのそれぞれ異なった出会いは、このようにして一つの経験となって、共通の証言となっていきます。
第三に、エルサレムへ戻ることはとても重要な意味をもっていました。ルカによれば、エルサレムはキリスト教宣教の中心であり、そこから、ユダヤ、サマリヤ、そして地の果てまでも散らばっていくことになるのです。世界宣教はそうした形で始まり、広がっていくことになりました。日本の教会も、そして私たちの教会、その延長線上を生きているのです。世界聖餐日、世界宣教の日に、そうしたことを心に留めて、感謝して世界の教会と共に歩んでいきたいと思います。