2021年2月21日説教「対決」松本敏之牧師
出エジプト記8:12~28 ローマの信徒への手紙12:1~2
(1)受難節(レント)の始まり
先週の水曜日2月17日は、教会の暦では「灰の水曜日」でした。この日から、受難節が始まりました。イースター(復活日)の前の、日曜日を除く40日間です。英語ではレントと呼ばれます。日本語で何と呼ぶか、あまり定着していないようです。日本基督教団では、漢字で書くならば、受難節という言い方が一般的かと思いますが、カトリック教会では「四旬節」と言います。「旬」というの字は十日間を意味する漢字です(上旬、中旬、下旬など)ので、40日間を意味する言い方です。ブラジルでは、ポルトガル語で「クワレズマ」と言いますが、やはり「40日間」ということです。また聖公会(イギリス国教会)では、「大斎節」と言います。「斎」は悔い改めを意味する感じです。聖公会では、金曜日を「小斎」と呼びますが、それは小さな悔い改めの日ということです。それぞれに意味があります。主イエスのご受難、十字架にかかって死なれたことを心に留める季節という意味では「受難節」という呼び方に意義があります。ただ最後の1週間の「受難週」と、皆さん、よく間違われます。礼拝のお祈りや献金のお祈りなどでも、「受難週になりました」と言われて、「違う、違う」と思ったりすることもあります。また受難節にあっても、日曜日だけは「復活を祝う日」ということで、日曜日を除く40日間ですので、受難節第一主日、ということにはやや抵抗があります。聖公会の「大斎節」という言葉が示すように、この期間は、イエス・キリストの受難を覚えるだけではなく、私たち自身が自分を振り返って、悔い改めをする季節でもあります。そのことによって、十字架の恵みを思い起こすのです。
私たちの教会でも飯田牧師の頃にやっていたようですが、レントにもアドベントと同じように、ろうそくを使って、最初は6本のろうそくに火を付け、1週間ごとに一つずつ消していくという新しい習慣もあります。それによって、私たちの心も主イエスの苦しみに合わせていくのです。ご希望があれば、また復活してもよいかもしれません。クリスマスを迎えるアドベントの過ごし方は、ろうそくの灯がだんだん灯っていくように、希望が膨らんでいく感じですが、イースターを迎えるレントの過ごし方は、だんだん悔い改めを深くしていき、イースターで、突然、喜びが爆発するような感じでしょうか。
(2)聖書を読もう
この季節、自分を振り返り、悔い改めをするために、最もふさわしいことは、やはり聖書に向き合うことでしょう。それを思い、急遽、この受難節に1日1章ずつ、聖書を読む聖書日課を作ってみました。お配りしたと思います。まだ受け取っていない方がありましたら、お帰りの際に、受付でお取りください。またインターネットなどで、この説教を聞いておられる方でお入り用の方も、どうぞお申し出ください。
実は、この試みには伏線があります。新年度4月から、鹿児島加治屋町教会では、主日礼拝で朗読する聖書を、現在の「新共同訳聖書」から、新しい「聖書協会共同訳」に切り替えることにしました。本日の週報の「2月定例役員会報告」にも記載されている通りです。それを機に、みんなで「聖書協会共同訳」の通読にチャレンジしたいと思ったのです。まだ一度も聖書を通読したことない方も、これまで別の聖書の訳で通読したことのある方も、ぜひ一緒にやりましょう。これは改めて正式に提案したいと思っていますが、「まずは新約聖書を読もう」ということで4月1日から始めます。最初から聖書の配列通りに読んでいくのではなく、皆さんが「飽きないように」などいろいろ配慮して、私が組んでみました。最初はマルコによる福音書から始めます。レントの聖書日課も、最後の4月1日からはマルコになっていると思います。
順調にいけば、日曜日を入れないで、2022年1月30日に読み終える予定です。
しかしそれを考えているうちに、最も聖書に向き合うべきレントが終わった頃から始めるのも変な話と思い、手始めに試運転のような形で、レントの聖書日課を作ってみたのです。これは旧約聖書でも数年後になるであろう小預言書と呼ばれるところにしました。明日から始めて、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書までで、3月30日になると思います。それで聖書を毎日読む習慣を身に着けて、本番の(?)新約聖書通読の旅にチャレンジしていきましょう。いつ読むのが一番良いかは人によって違うと思います。本当は朝読むのが一番よいのでしょうが、なかなかそうはいきません。最初に机に向き合う時、というのでもよいでしょう。10分間ほどで読めるかと思います。
(3)10の災い
さて本日の聖書箇所に向き合いましょう。月に一回程度のペースで、出エジプト記を読んでいます。前回(1月12日)は、7章の初め、主なる神がモーセに対して、「アロンと一緒にエジプトの王ファラオのもとに行くように」と語られた部分を読みました。その後の、7章8節から11章10節までは一続きになっております。主なる神様がエジプトからイスラエルの民を導き出すために、次々とエジプトに災いをくだされるという話です。それが、これでもかこれでもかと延々と続いて、全部で10もあります。実は、今日は7章の「アロンの杖」「血の災い」「蛙の災い」については、物語の筋を簡単に説明して、7章8節から8章の終わりまでを一気に扱うつもりにしていました。しかし準備をするうちに、やはり7章も丁寧に扱う必要があることを思いました。それで順序は変わりますが、7章については、次回、改めてお読みすることにします。今日は予定通り、先ほどお読みいただいた8章12節以下についてお話します。
(4)ぶよの災い
血の災い、蛙の災いの後の、三つ目の災いは、ぶよの災いです。アロンが「土の塵」を、例の杖で打つと、土の塵はすべてぶよに変わってしまいました。そしてエジプト全土の人と家畜を襲いました。今度は、もう魔術では追いつけない。これまでの対決では、必ず魔術師も同じようなことをやって見せましたが、今度ばかりはそうは行きません。そして、魔術師はこう言うのです。「これは神の指の働きです」(8:15)。これまでエジプトの魔術師はモーセとアロンについてくることができた。つまり神様抜きでもやってみせることができたのです。その限りにおいて、ファラオもモーセとアロンに対して、威勢を張っていることができました。しかしここに来て、魔術師自身が降参宣言をするのです。彼らはファラオよりもいち早く、自分たちが闘っているのが一体誰であるかを悟ったのでありましょう。「これは神の指の働きです」。
(5)神の領域と科学の領域
今日では、魔術というよりも科学がこれに近いことをやっているのではないかと思いました。これまでは、まさに神様の領域と考えていたところへ、次々と人間の科学が挑戦して、それは人間の技術でもできるということを実証して見せている。その領域は宇宙科学に及び、生命科学に及んでおります。
しかしながら不思議なことに、そこからいつも同時に、両極端の二つの声が聞こえてくるのです。ひとつは、「やはり神などいないのだ。人間はそのうちに何でもできるようになるであろう」という声であり、もう一つは「やはり神のなさる業は神秘的で、偉大だ」という声です。
意外なことに、本当に優れた科学者の中に敬虔な信仰をもった人が多いものです。それは深く科学について学べば学ぶほど、「これは神の指の働きです」と認めざるを得ない領域に気づくからではないかと思います。人間の到達できる領域はどんどん広がり、深まっていくでありましょうが、決して神様に追いつくことはないでしょう。遺伝子をすべて解明したとしても、神様はさらに深い神秘を用意しておられたということに、科学者は気づくでありましょう。
この時の魔術師もちょうどそのような心境であったかも知れません。エジプトでいち早く、神の働きを認めたのは魔術師でありました。しかしながらこの時、ファラオはそのような魔術師の言葉を聞きながら、謙虚に「そうか。わかった」と神の働きを認めたのではなく、一層頑なになっていきました。
(6)あぶの災い・ファラオの妥協案
次に来るのがあぶの災いです。神様はモーセに、あぶの大群を送ると告げます。「ただしヘブライ人の住むゴシェンの地だけは襲わない、あぶの大群から守る」と約束されました。あぶの大群がファラオの王宮や家臣の家を襲い、被害がエジプト中に及んだ時、ファラオは再びモーセとアロンを呼び寄せました。そしてファラオが妥協案を述べるのです。「行って、あなたたちの神にこの国の中で犠牲をささげるがよい」(8:21)。
もともとモーセ側が要求していたのは、エジプトから出て、荒れ野で、しかも三日の道のりの場所で神様に犠牲をささげることでした。ファラオは「それを認めることはできないが、エジプト国内で礼拝をするのは認めよう」と、提案したのです。国から出ると、逃亡の危険性もあるし、往復1週間の休暇は到底認められるものではないということでしょう。
それに対してモーセは、このファラオの妥協案に同意せず、それを退けました。その理由をこのように述べています。「そうすることはできません。我々の神、主にささげる犠牲は、エジプト人のいとうものです。もし、彼らの前でエジプト人のいとうものをささげれば、我々を石で打ち殺すのではありませんか。我々の神、主に犠牲をささげるには、神が命じられたように、三日の道のりを荒れ野に入らねばなりません」(8:22~23)。
この「エジプト人のいとうもの」とは何であったのか。学者の研究によりますと、エジプトでは神にささげるものは、植物か、せいぜい鳥や動物の肉片であったのに対して、ヘブライ人のささげものは、羊や山羊まるまる一頭であったりしたということです。もっともこれは、モーセのファラオに対する論戦のストラテジー(戦術)であったでしょう。しかし同時に、礼拝する時と場所、そして形にこだわり、主を礼拝するとは一体どういうことであるかを、毅然とファラオに示そうとしたということもできるでしょう。
ファラオはしぶしぶ、モーセの要求をのみます。「よし、わたしはあなたたちを去らせる。荒れ野であなたたちの神、主に犠牲をささげるがよい。ただし、あまり遠くへ行ってはならない。わたしのためにも祈願してくれ」(8:24)。このファラオの言葉は、この時の複雑な気持ちをよく表しています。「荒れ野に行くことは仕方がない。承知した。けれども遠くへは行くな。三日の道のりとはとんでもない」。そのことによって、ファラオはまだ、自分が主権をもっていることを誇示しようとします。しかしこの事態を何とかしなければならないので、モーセの神に、「私のためにも祈ってくれ」と懇願するのです。モーセは早速、ファラオのもとを去り、出かける準備をするのですが、あぶの大群が去ると、ファラオは再び、心を頑なにし、彼らを去らせないようにしてしまうのです。
(7)この世と妥協してはならない
さてストーリーを追うのは、ここまでにいたしまして、このところのモーセの態度から大切なことを学びたいと思います。それはモーセが、肝心なところではファラオと妥協しなかったということです。
ローマの信徒への手紙12章2節に、こう記されています。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれる、また何が完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」。この「この世に倣ってはなりません」というのは、以前の口語訳聖書では、「この世と妥協してはならない」と訳されておりました。
私たちは、確かにこの世の中にある教会として、あるいはこの世に生きるクリスチャンとして、当然のことながらこの世の事柄と、そしてクリスチャン以外の人たちと協調してやっていかなければならないことも多々あります。逆にこの世から学ばなければならないことも少なくありません。「教会の常識は世間の非常識」などという皮肉な言い方もある位です。教会では、世間で通用しないようなことを平気でやっている、という意味ですが、それでは証しになりませんし、かえって大きなつまずきになるでしょう。
しかし同時に安易にこの世と妥協して、クリスチャンとして最も大切な点を曲げてはならないということもあるのではないでしょうか。一体、私たちはどこで協調し、どこで妥協してはならないのか。これはなかなか難しい、デリケートな問題であります。具体的にそれが一体何であるかを特定することはできませんし、しない方がよいと思います。
私個人に関することを言いますと、例えば仏教のお葬式に言って、お焼香をするというようなことはあまり気になりません。「それは偶像崇拝だ」と言って気にするクリスチャンもいますが、私はそうは思いません。むしろ亡くなった方の信仰に敬意を表して、お焼香するのは自然なことであり、決して自分の信仰を曲げるようなことではないと思っております。もちろんお焼香したくないというクリスチャンがあれば、それはそれで尊重しなければならないでしょう。「どうしてお焼香しないんだ。松本先生が『いい』って言ったわよ」と言って、お焼香することを強要することも間違っている。その自由が保障されなければならいと思います。
あるいは日曜勤務のあるお仕事で、礼拝に出られないことをうしろめたく思われる方もあるかも知れませんが、それはそれで「この世と妥協する」ことにはあたらないでしょう。それは必要なことでありまして、例えば日曜日に電車やバスやタクシーが動いていなければ、私たちは教会へ行くこともできないわけです。
(8)私たちはなぜ迫害されないか
弓削達(ゆげとおる)という先生(元フェリス女学院大学学長)が、『ローマ皇帝礼拝とキリスト教徒迫害』(日本基督教団出版局)という書物の中で、興味深いことを述べておられます。それは、ローマ帝国時代のキリスト者たちがなぜ迫害されたのか、ということです。紀元2世紀のローマ帝国において、キリスト者は子どもの肉を食べ、近親相姦を行うという社会通念を前提に、迫害され、処刑されました。しかしそのようなことが事実無根であることが明らかになった後も「キリスト者」という名前そのものが処罰の対象となっていきます。
実は人々がキリスト者を忌み嫌った背景には次のような理由がありました。それは第一に、彼らが皇帝礼拝をせず、都市の共同体祭儀にも加わらなかったということであります。洪水や日照りが起こると、ローマの人々はキリスト者が神々を怒らせたのだと考えました。
第二は、キリスト者が売春や毒薬調剤などという都市のあだ花的繁栄に手を貸さなかったということです。それらはいわば必要悪のように考えられていましたが、キリスト者たちは、それを信仰と相容れないものとして、毅然と「ノー」と言ったのでした。キリスト者の存在そのものが、一般民衆の生活原理に対する根底的批判でありました。そうしたところで、彼らはこの世と妥協せず、自分の信仰を貫いたのです。「殉教者」という言葉は、もともと「証言する人」という言葉から生まれたものでありました。
弓削先生は、そういう風にローマ時代のことを書きながら、「今日の私たちはどうであろうか。今日、『私はキリスト者です』という証言は何のインパクトも与えない。それは、キリスト者が迫害されない、よい時代になった、ということよりも、キリスト者自身が、ローマ時代のような社会に対する根底的な批判をそぎ落としてしまったからではないか」と、問われるのです。この世が神様の御心に背いたような歩みをしている時でさえ、私たちは社会に対して何も言わないがゆえに、この世から受けいれられているのかも知れません。こうしたことが具体的には、一体何であるのかは、特定することは難しいですし、しない方がいいでしょう。
むしろ、私たち一人一人が、「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれる、また何が完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」と、問われているのだと思います。あの時、モーセがファラオに妥協しなかったように、私たちもこのことを謙虚に問い返しながら、御心に適ったキリスト者としての歩みをしていきたいと思います。