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2020年6月28日説教「洗礼者ヨハネ」松本敏之牧師

洗礼者ヨハネ

イザヤ書57章14~15節  ヨハネによる福音書3章22~30節

(1)聖ヨハネの日

 本日の新約聖書の聖書箇所は、日本キリスト教団の先週の聖書日課の箇所です。洗礼者ヨハネについて述べています。新共同訳聖書では、「イエスと洗礼者ヨハネ」という題がつけられています。1週間ずれましたが、今日はこの箇所からみ言葉を聞いていきましょう。
 なぜこの時期に、洗礼者ヨハネのことを取り上げるのか。それは、洗礼者ヨハネの誕生日が、6月24日とされるからです。カトリックでは聖ヨハネの日と呼ばれます。
ブラジルでは聖ヨハネはサンジョアンと呼ばれ、6月23日から24日はとても大きなお祭りになっています。なぜ6月24日が洗礼者ヨハネの誕生日なのかと言えば、ルカによる福音書1章26節。天使ガブリエルがイエスの母となるマリアのところへ「受胎告知」のためにやってくる場面です。「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである」と始まります。この最初の「6か月目」というのは何から数えて6か月目なのか。それは、天使ガブリエルが、ザカリアのところへ遣わされて、「あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」と告げられてから、6か月目だということです。つまりイエス様と洗礼者ヨハネの受胎告知が6か月違いなので、誕生日も6か月違いだろうということです。受胎告知の中で、天使ガブリエルは、マリアに対しても直接、「あなたの親類エリサベトも、年をとっているが、男の子をみごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう6か月になっている」(ルカ1:36)と知らせています。

(2)ブラジルのフェスタジュニーナ(六月祭)

フェスタジュニーナは、カトリックの暦で、聖アントニオ(12日)、聖ヨハネ(24日)、聖ペトロ(30日)の3人の聖人の日を覚えて祝うものですが、この中で、バプテスマのヨハネの誕生日を祝う24日(およびその前夜)がピークとなるため、フェスタジュニーナをサンジョアン(聖ヨハネ)祭と呼ぶこともあります。6月は秋から冬にかけての収穫の季節ですので、フェスタジュニーナには、収穫感謝祭の意味合いもあり、農村では1年で一番豊かな、喜びに満ちた時です。
 フェスタジュニーナには、ブラジルの農村文化が集約されており、興味深い風習がたくさんあります。まずはたき火。村中のいたるところで、大きなたき火、小さなたき火がたかれます。一年で一番寒い時、一年で一番日の短い時に、たき火は暖房やイルミネーションとして大きな役割を果たします。またとうもろこしやおいもを焼く火にもなる。たき火の由来として、バプテスマのヨハネが生まれた時、エリザベトがたき火をたいて、マリアに知らせたという伝説もあります。
 このたき火を囲んで、焼きとうもろこし、焼きいもの他、とうもろこしを使った甘菓子やケーキを食べ、クアドリーリャというフォークダンスを踊ります。フェスタジュニーナは、このクアドリーリャというダンスを踊ることからもわかるように、恋人探しの時でもある。特に聖アントニオは、縁結びの聖人として知られています。若い娘たちは、アントニオに願いをかけて、恋人ができるまで、アントニオ像を後ろ向きにしたり、ひどいのは井戸に逆さ釣りにしたりするそうです。またいろんな恋占いもします。例えば、たき火の中に小銭を投げ込み、翌日、燃え滓の中からその小銭を探す。それが見つかった時に通りかかった男の人に、何か頼み事をする。その人がそれに答えてくれたら、名前を聞く。その人の名前が自分の将来の恋人の名前というわけです。(ブラジルでは名前の数はそう多くない)。またバナナの木にナイフを差し込み、翌日抜き取る。そこについた染みが何のイニシャルに見えるか。それが将来の恋人の名前のイニシャルであるというのもあります。ちなみにブラジルでは、聖アントニオの日の前日、6月11日は恋人の日であり、この日は恋人にプレゼントをし、恋人と過す日となっている。
最後の聖ペトロの日の前夜には、私が住んでいたレシフェ、オリンダなどの海のある町では、ペトロ像を掲げた船を先頭とし、大漁を祈って船の行列が行われる。ペトロは漁師たちの守護聖人なのです。プロテスタントの私からすれば、大漁を願うなら、ペトロに頼むよりもイエス様に頼む方がいいと思います。ある分野に強い聖人(学問の聖人など)や、自分たちを特別にひいきにしてくれる聖人が欲しいのです。日本の八百万の神と少し似ているかもしれません。

(3)洗礼者ヨハネとは誰か

さて洗礼者ヨハネとは、どういう人であったのでしょうか。ヨハネはすでにヨハネ福音書の第1章に登場しますが、そこでヨハネは「自分はメシアではない」とはっきり言い(1:20)、自分は「主の道をまっすぐにせよ」と「荒れ野で叫ぶ声」だと述べました(1:22)。
マタイ福音書などでは、イエス・キリストが洗礼者ヨハネのもとにやって来て、このヨハネから洗礼を受けられたことが記されております。
 また今日のテキストの中で、唐突に「ヨハネはまだ投獄されていなかったのである」(24節)と記されていますが、これについては、たとえばマタイ福音書14章1節以下に記されております。ヨハネは、領主ヘロデが兄弟の妻ヘロディアを横取りしたということを非難して、牢屋に入れられることなります。その後ヘロデの誕生日にヘロディアの娘(サロメ)が、美しい踊りを踊り、ヘロデはうれしくなって、「褒美として、何でも欲しいものをやろう」と約束してしまうのです。彼女は母親ヘロディアの入れ知恵で、「ヨハネの首を盆にのせてもってきて欲しい」と言いました。ヘロデはみんなの前で約束したこともあり、そのようにしました。洗礼者ヨハネは、彼らの余興の対象のようにされながら、首をはねられ、悲劇的な生涯を終えるのです。

(4)ヨハネの洗礼とイエスの洗礼

 さてそれらのことを踏まえながら、今日のテキストを読んでまいりましょう。
「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである」(22~23節)。
 サリムのアイノンというのは、ガリラヤ湖と死海の間で、ヨルダン川の西側にあった町です。ちなみに、サリムというのは、「平和」や「繁栄」を意味するシャロームと関係のある地名であると思われます。またアイノンというのは「泉」という意味です。
 一方、イエス・キリストは「ユダヤ地方」を、移動しながら洗礼を授けておられたようですが、ある時、ヨハネとそう遠くないところまで近づいて来られたのでしょう。
 このヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こったというのです(25節)。この論争が、一体どういうものであったのかは記されていませんが、この後の文脈から想像いたしますと、恐らくヨハネの洗礼と、イエス・キリストの洗礼と、どちらの方が「清め」の力があるか、効力があるかというような論争であったのではないかと察せられます。

(5)道備えにして、証人

さて、ヨハネの弟子たちはヨハネのもとに来て、こう言いました。
「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています」(26節)。
 このヨハネの弟子たちの言葉には、一種の嫉妬、あるいはあせりのようなものが感じられます。「ヨハネ先生、あのイエスという人は、あなたから洗礼を受けた人でしょう。いわばあなたの弟子ではありませんか。それが今、みんなあの人の方へ行っていますよ。悔しいじゃありませんか。放っておいていいのですか」。
 しかしその弟子たちの問いに対するヨハネの答えというのは、非常に冷静であり、自分の分をよくわきまえたものでありました。
「自分はメシアではない」、「あの方の前に遣わされた者だ」(28節)。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」(29節)。そして最後の言葉です。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(30節)。
この最後の言葉は、負けを認めた人間の敗北宣言のように聞こえるかも知れません。「私の負けです。完敗いたしました」。あきらめと悔しさが感じられる言葉とも取られかねません。しかしそうではないのです。この言葉は、むしろ29節の「わたしは喜びで満たされている」という言葉の続きで読まなければならないでしょう。
 洗礼者ヨハネという人は、イエス・キリストの道備えをした人でしたが、ヨハネ福音書では同時に、「イエス・キリストを指し示した証人」ということが強調されています。彼は、イエス・キリストと同時代人です。先ほど言いましたように、ルカ福音書によりますと、洗礼者ヨハネは、イエス様とほぼ同い年、半年だけヨハネが年長です。このヨハネが置かれた位置、あるいは担った役割というのを見てみますと、まずイエス・キリスト以前において、旧約以来ずっと続いてきた「最後の預言者」であると言えるでしょう。旧約聖書のまとめをするように、そうしたすべての預言者の思いを身に引き受けて、イエス・キリストの直前にあって、その直接の道備えをしたのです。
 それと同時に、イエス・キリストの最初の証人なのです。イエス・キリストの傍らに立って、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)と、イエス・キリストを指し示した人です。ですから旧約のまとめでありつつ、新約の先駆でもあると言ってもよいのではないでしょうか。「見よ、この人だ。私ではない。この人が来るために、私は道備えをし、この人が来たから、私はそれを証しする。そしてそれで役割を終えたのだ。」そこに本当の喜びがあることを知っていたがゆえに、そして本当に指し示すべきものが何であるかを知っていたがゆえに、ヨハネは、喜んで、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」ということができたのではないでしょうか。自分を卑下して言ったわけではありません。

(6)伝道者の模範

 私はこのヨハネの姿は、ある意味で伝道者・牧師のあるべき姿を、模範として指し示していると思います。プロテスタント教会の場合には、説教が礼拝の中心であるということもあり、しばしば「何々先生の教会」と言われます。「植村先生の教会」であるとか、「海老名先生の教会」であるとか、「松本先生の教会」であるとか、そういう風に呼ばれることが多いのです。そのような中で、ある伝道者の仕事が一体どういうものであったかということは、むしろその人が去った後で明らかになるのではないでしょうか。有名な先生が去った後、礼拝の出席人数ががたっと少なくなるということがしばしばあります。ある程度は仕方のないことでありますが、そうした時に、その人の指し示していたものは一体何であったのかということが、問われるのです。

(7)鉄道の保線員

 ある人が伝道者・牧師の仕事というのは、鉄道の保線員のようなものだと言いました。保線員というのは、目立たない脇役、あるいは裏方のような仕事です。主役は、線路の上を走り抜ける列車です。それが滞りなく走り抜けることができるように、線路の点検整備をするのが、保線員の職務であります。教会に当てはめてみるならば、列車はイエス・キリストです。あるいは聖霊と言った方がいいかも知れません。伝道者は、その聖霊という名の列車がきちんと走り抜けることができるように、自分の持ち場をしっかりと点検し整備するのです。このたとえは、伝道者のあるべき姿、また何をなすべきかをよく示していると思います。
 洗礼者ヨハネという人は、先ほど申し上げましたように、この世的な視点からすれば、悲劇的な生涯の終わり方をしました。彼はその生き方だけではなく、その死に方においても、イエス・キリストの先駆であったと言えるでありましょう。イエス・キリストも洗礼者ヨハネと同じく、あるいはもっと悲劇的、かつ屈辱的、そして残虐な死に方をされたからです。ヨハネは、しかしながら、そのように死んでいく中においても、自分の人生は決して無駄ではなかったということを十分に知り、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と思ったことであろうと思います。
 牧師に限らず、私たちの教会での役割、働きというのも、やはり鉄道の保線員のような面があります。教会役員、教会こども会スタッフ、オルガニスト。幼稚園の教師もそうでしょう。私たちは、神様から、主イエスから大事な役割を託されるのです。そこでは私たちが主役になるのではありません。あくまで支える働きです。聖霊という名の列車が無事に走り抜けることができるように、しっかりと、自分の持ち場に責任を持つ。ある一時期、それを誠実に担い、そして次の保線員に責任を渡していくのです。
この世の他の仕事も同じことが言えるのではないでしょうか。私たちの人生は、やがて必ず終わりを迎えます。ある人はこの世的な意味で成功をし、祝福のうちにその人生を終えるでしょう。またある人は、この世的な意味では、恵まれない形で、それを終える人もあるかも知れません。しかしながらそうしたことはあまり重要なこと、本質的なことではないと思います。本当に大事なことは、その生涯を通じて、イエス・キリストを指し示すような生き方をしたかし、そしてそのことによってその人自身が喜びを得たかどうかということにかかっているのではないでしょうか。私たちも洗礼者ヨハネからそのような生き様を学びつつ、彼が「この人を見よ」と指し示したイエス・キリストにつながって生きる者となりたいと思います。

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