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大地のリズムと歌-ブラジル通信15 「カエターノ・ヴェローゾとトロピカリア運動」

 先日、レコード屋の新譜コーナーを覗いていると、あるCDが私の目に留まった。『トロピカリア30年』(TROPICALIA 30ANOS、NATASHA RECORDS- SONY 289122)。一昔前のアヴァンギャルドを感じさせる古めかしいデザインのジャケット。早速、聴いてみると、現在若手のアフロ・ブラジル音楽の音楽家たちが中心になって、30年前の最先端の音楽を、歯切れの良いビートに乗せて、スマートに演奏している。トロピカリア運動の中心にあった、当のカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルも、冒頭でテーマ曲「トロピカリア」を歌い、アルバム全体がトロピカリア運動に対するオマージュのようになっている。

 カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジル。『福音と世界』の読者には、なじみの薄い名前であるかも知れないが、ブラジルでは誰も知らない人はいない。共にブラジル・ポピュラー音楽(MPB)を、この三十年の間、リードしてきた超大物シンガーソング・ライターである。


(カエターノ・ヴェローゾ)

 私は1991年の渡伯以前、クラシック音楽であれば、とっくにファンの領域を通り越し、可能な限り、ありとあらゆる音楽を聴き尽くしていたが、ブラジル音楽については、ほとんど何も知らなかった。ブラジルへ来た当初、クラシックのいいCDが見つからなくて、がっかりしたものである。あきらめてブラジル音楽を聴き始めたところ、偶然のように出会ったのが、カエターノ・ヴェローゾの『シルクラドー・ヴィーヴォ』(93年、日本盤タイトルは『ポートレート』、PHILIPS、PHCA- 5017)というCDであった。これは1992年、カエターノが50歳の誕生日を迎え、これまでの音楽人生をふり返るようにして、思い出の曲を歌い上げた、ライブ録音であり、一人の芸術家の魂の遍歴である。その音楽は、苦い経験がすでに昇華され、無駄なものが削ぎ落とされ、不思議な優しさに満ちていた。私がこれまで聴いたことのない音楽であり、しかも誰にでもわかるポピュラー音楽であった。それ以来カエターノという名前は、私にとってかけがえのないものになった。

 カエターノは、同年、朋友ジルベルト・ジルと共に『トロピカリア2』(PHILIPS 518 178-2、日本盤あり)という次のディスクを発表する。1968年にピークを迎えたトロピカリア運動の立役者であった二人が、その25周年を記念して、制作したものだ。前作に比べると、少しとっつきにくいが、どこまでも新しいサウンドを追求してやまない二人の創作意欲が全体にあふれている。サウンドだけではない。鋭い時代批判と問題提起を含みつつ、それが上滑りせず、優れた芸術に仕上がっている。考えてみれば、それこそがトロピカリア運動の精神であった。私がトロピカリアという言葉を知ったのも、このアルバムを通してである。


(『トロピカリア2』のジャケット)

 30年前に帰ろう。1964年クーデターにより、軍政に突入したブラジルは、60年代後半になって、ますます弾圧が厳しくなり、世相も限りなく暗く重くなりかけていた。北東部バイーアからリオデジャネイロへ出てきていたカエターノやジルベルトは、他の多くの若手アーティストたちと共にヒッピー的な共同生活を営みつつ、新しいスタイルの音楽を求め、それを提示していく。その音楽は、ボサノヴァを継承しつつも、ビートルズやジミ・ヘンドリックスの影響を受け、さらにジョン・ケージ、シュトックハウゼンなどクラシック現代音楽の要素も見られる。それだけではない。自分たちのルーツに帰り、ブラジル北東部の音楽の素朴なよさも取り入れたものであった。歌詞は、具象的なようで抽象的であり、一つの言葉に二重、三重の意味が込められていた。

 このトロピカリア運動(あるいはトロピカリズモ)は、音楽の分野に留まるものではなかった。ブラジル文化を再発見することによって、自分たちの本来のアイデンティティーを確立し、当時の軍事体制を文化的手段によって打倒しようというモチーフが根底にある。多くの若い芸術家たちがこれに共鳴し、映画、演劇、舞踏、詩、美術と言ったそれぞれの分野で、それを展開していった。カエターノは68年、サンパウロのカトリック大学で行われた国際歌謡フェスティヴァルで、体制に真っ向から挑戦するような「プロイビード・プロイビール」(禁止することを禁止する)を歌い、当局に睨まれることになる。同年年末、彼は逮捕され、4ヶ月の監禁生活の後、国外追放され、ロンドンへの亡命を余儀なくされた。ロンドンでの経験は彼の音楽にさらに広がりを与えたが、亡命生活は彼にとって非常につらいものであった。七一年の帰国後、彼は政治的プロテスト・ソングを歌っておらず、この点で反軍政闘争の真っただ中にいた若者達は、帰国後のカエターノに不満を禁じ得なかったようである。芸術がこうした人権活動にいかに貢献しうるかは、難しい問題であると思わざるを得ない。ただ一つ、七〇年代以降のカエターノの音楽が、ますます深みと円熟度を増していることは確かであり、私は、彼の音楽は真実を愛する者に、慰めと励ましと安らぎを与え続けたであろうと思う。

 前述の『トロピカリア2』の終わりで、カエターノはジルベルトと共に「サンバがサンバであった時から」(Desde Que O Samba E Samba)という美しい歌を静かに歌い上げている。音楽を伝えられないのが残念であるが、歌詞だけでも紹介したい。言葉は終末論的希望に根差し、音楽は信仰的な慰めと励ましに満ちている。

サンバがこのようにサンバであった時から、
悲しみは強く大きい。
黒い肌に落ちる透明の涙、
雨が降りしきる夜、
孤独が恐怖を呼び覚ます。
すべてがゆっくりと朽ちていくが、
私の中で今何かが起こる。
歌いつつ、私は命じる、
「悲しみよ、去れ」と。

サンバは今も生まれている。
サンバはまだ来ていない。
サンバは決して死なない。
見よ、日はまだ昇っていないではないか。
サンバは喜びの父、
サンバは苦しみの息子、
変革の大きな力である。
(私訳)

(『福音と世界』、1998年4月)

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