ドン・ペドロ・カサルダリガ(ブラジルの)の訃報
2020年8月10日
〈ドン・ペドロ・カサルダリガ(ブラジルの)の訃報〉
ブラジルの小井沼眞樹子さんが、カサルダリガ司教の逝去をお知らせくださいました。
ドン・ペドロ・カザルダリガは、ブラジルの軍政の時代から、レシフェ/オリンダ司教区のドン・エルデル・カマラ、サンパウロ司教区のドン・パウロ・エヴァリストと並ぶ、キリスト教基礎共同体のカリスマ的リーダーでした(「三大カリスマ的リーダー」と聞いたこともあります)。
2009年に、ブラジル・アマゾンの奥地の都市ポルトヴェーリョで開催された第13回ブラジル・キリスト教基礎共同体全国大会に、小井沼眞樹子さんと共に参加した時、「ドン・ペドロが来る!」というので楽しみにしていましたが、健康上の理由でそれがかないませんでした。ビデオ・メッセージを送ってこられましたが、みんなが食い入るようにそれを観ていたことが印象的でした。 私はカサルダリガ司教について、『神の壮大な計画』の中で、次のように述べたことがあります。よかったらお読みください。(「大司教」(Archbispo)ではなく、「司教」(Bispo)でした。重版があるなら、その時訂正します。)
〈カサルダリガ大司教の言葉〉
食糧の分配ということで思い起こすのは、私がブラジルにいた最後の年(1998年)の出来事です。ブラジルの赤道に近い北東部(ノルデスチ)は、ブラジルの中でも最も貧しい地域、また世界中でも、人口が密集して住む地域の中でも最も貧しいと言われる地域です。
そこでは10年に一度くらい大干ばつが必ず起こっているのですが、その年にも大干ばつが起きました。ブラジルは貧富の差が激しく、持てる人と持たざる人の差がはっきりしています。ですからあるところには食糧はあるけれども、ないところには全くないという状況が生まれます。この大干ばつの時にも、スーパーマーケットの倉庫には食糧があり、それを武装したガードマンが守っていました。一方、貧しい民衆はそれを買うお金もありません。ある日、群衆が大集団でその倉庫に押し入り、食糧をほとんど盗み出すという事件が起こりました。ガードマンはなすすべもなく、ただ立ち尽くしていたとのことでした。
ブラジルには、「貧しい人の優先」を掲げる解放の神学を生み出したキリスト教基礎共同体という新しい形のカトリック教会があります。その基礎共同体のカリスマ的リーダー、ペドロ・カサルダリガ大司教は、事件の後でこう述べました。「全く何も食べるものがなく、それを食べなければ餓死するというような究極状況において、その食べ物を盗んで食べることは罪ではない。」そしてこう付け加えました。「むしろ昨年から大干ばつが来るとあれほど警告されていた状況で、十分な手を打ってこなかった政府にこそ責任がある。」もちろん法的に言えば、盗むことは犯罪です。聖書にも「盗んではならない」という十戒の言葉があります。しかしそれを単純に弱い立場の人に適用せずに、むしろこういう状況が出される背景には、もっと巨大な「盗み」があるということを見ていたのでしょう。大司教と言えば、かなり権威のある人です。その大司教が、堂々とそう語ったことに、私は驚きました。そして、自分の地位をかけて、そう断言するこの人は本物だなと思いました。
この事件も、飢餓の問題が不足の問題ではなく、分配の問題であるということを思い起こさせてくれるものです。」
(松本敏之『神の壮大な計画』p.73~75 創世記37~50章による説教』p.73~75、創世記41章37~57節に基づく説教「食糧」)