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だから、希望がある  -路上生活者と祝うクリスマス- 1997年10月

ブラジルでは、クリスマスの季節は真夏である。温暖な南西部のサンパウロあたりでもけっこう暑い。汗をふきながら、寒々としたユダヤの馬小屋でお生まれになったイエス・キリストを思い起こすのは、たくましい想像力が必要である。ウルグアイやアルゼンチンとの国境に近い南部からはるばる運ばれてきた樅の木のクリスマスツリーは、一日でも長くもたせるために、毎日スプレーで水をかけてやらなければならない。重装備のサンタクロースは、それこそ大変である。汗だくになって、子どもたちにプレゼントを渡しにやってくる。どうもブラジルのクリスマスは季節はずれで、北半球、西欧からの輸入文化という感じが強い。

ブラジルでも、12月にはショッピングセンターや商店街が、ひときわ華やかになる。人々は、家族や恋人にプレゼントを買い、「パネトーネ」(長もちする菓子パンのようなもの)をおみやげに買って帰る。半袖とミニスカートの若い「女サンタクロース」が街角にたくさんあらわれるのは、ブラジルならではの光景であろう。しかしこうした華やかさのすぐ隣で、家のない人が段ボールの上にうずくまり、貧しい子どもたちが信号待ちの車の運転手に小銭をせびる情景もまた、非常にブラジル的である。

ブラジル人はクリスマスを、家族・親戚と共に、楽しくゆっくりと過ごす。故郷を離れて生活している者、普段はばらばらに住んでいる者も、12月24日の夜は万難を排して、親元に集まってくるのである。

しかしこうした時にこそ、家も家族もない者や、家族の元に帰りたくとも帰ることができない者は、かえって寂しい思いをするものだ。サンパウロの路上生活者たちは、多かれ少なかれ、そういう思いをしている。

彼らの多くは、他の町、他の州から仕事を求めてサンパウロへやってきた人々であり、中でもブラジルで最も貧しい北東部からの移住者が多い。ある者は思ったように仕事が得られず、ある者は失業し、結局、路上生活者になった。帰りたくとも帰れなくなってしまった者もいるし、「帰ってもどうせ仕事はないから」とサンパウロの路上に住み続ける者もいる。

サンパウロにある<路上生活者のためのメソジスト・コミュニティー>では、そうした路上生活者たちと共に、毎年盛大にクリスマスを祝う。私はサンパウロ時代、時折このコミュニティーを訪ね、お手伝いをしたり、いろんなことを学ばせていただいたりしたが、特にクリスマスは思い出深い。

<路上生活者のためのメソジスト・コミュニティー>は、1992年、メソジスト教会とサンパウロ市役所の合意によって始められた。路上生活者たちに、彼らが暖かく受け入れられる場所を提供し、個人的な問題、社会的な問題を解決する道を探り、社会的権利と人間としての尊厳を回復することを目的とする。

毎日朝9時~夕方5時まで、約180人がここにやってくる。幾つかの活動のうち、最も大事なことは日々の必要に関することである。彼らはここでシャワーを浴び、ひげを剃り、時に散髪もする。簡単な昼食をとり、医療相談をする。また彼らはここに身分証明書や貴重品を預けることができる。何でもないように見えるカバンも彼らにとっては全財産であり、路上で生活していると、すぐに人に盗まれてしまうのだ。

第二に彼らは、ここでリラックスして人と交わり、新聞や雑誌を読んだり、手紙を書いたりする。家がないということは住所がないということである。路上に住み始めて、遠い故郷の家族と連絡が取れなくなった者も少なくない。彼らはこのコミュニティーを通して手紙を受け取る住所を得るのである。また毎日午後3時には短い礼拝もしている。

第三は将来に関して。彼らはここで、どうすれば家族との絆を回復できるか、仕事を得られるかを共に考え、職業訓練などもしている。女性達は手芸などを習ったりもする。

さてコミュニティーのクリスマス行事は二日間にわたって催される。12月23日は、盛大な愛餐会である。普段の簡単な昼食と違って、この日は七面鳥他、いろんなご馳走が250人分、用意される。私たちの教会も大鍋を提供し、何人かの婦人達も準備や給仕の手伝いに行った。路上生活者たちは列になって食事を受け取るのではなく、きちんとテーブルにつき、奉仕者により給仕される。デザートまである。彼らの一人一人が人格を持った者として、受け入れられていることを示すためである。

24日は、クリスマス礼拝である。1993年と94年には、礼拝の中で、コミュニティーの人たちが、クリスマス・カンタータを上演した。シナリオは彼ら自身が作り、音楽はいつもコミュニティーで歌う中から選ばれた。彼らは自分たちの物語とヨセフとマリアの物語を重ねあわせて演じ、歌った。彼らは貧しさのため故郷を離れ、サンパウロへやって来た。夢を抱いて来たが、夢はすぐに破れた。誰も彼らを暖かく迎えてくれる人はなく、彼らは路上に住むことを余儀なくされた。ヨセフとマリアも田舎からベツレヘムの町へ出て来たとき、馬小屋にしか、いられる場所はなかった。しかしそうしたただ中でこそ、イエス・キリストはお生まれになり、クリスマスは始まっているのである。

毎年、必ず歌われる曲に、アルゼンチンのメソジスト教会のF・J・パグーラ監督によって作詞され、H・ペレーラによって作曲された「彼がこの世界に来られたから」という讃美歌がある。美しい短調のメロディーで静かに始まり、だんだん希望に満ちた、力強いトーンに変わっていく。一度きいたら忘れがたい名曲である。

彼がこの世界に、私たちの歴史に入ってこられたから
沈黙と苦悩を破られたから
この地でその栄光をあらわされたから
私たちの暗い夜の光であったから
貧しい馬小屋でお生まれになったから
愛と命の種をまかれたから
かたくなな心を砕かれたから
悲しむ人、倒れた人を立たせられたから

だから私たちには、今日希望がある
だから私たちは恐れずに闘う
だから
私たちは今日希望をもって、抑圧された民の未来を見つめる。

94年のクリスマスには、路上生活者の間に生まれた3人の赤ちゃんの幼児洗礼式が行われた。あの日、貧しい馬小屋でイエス・キリストがお生まれになったように、サンパウロの暗い路上にも未来を指し示す新しい命が誕生しているのである。

(松本敏之、日本基督教団派遣宣教師)(雑誌『礼拝と音楽』第95号、1997年10月)

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