かごっま通信 3(「時の徴」146号掲載 2016年6月発行)
松本 敏之(「時の徴」編集同人)
熊本・大分地震、鹿児島では
4月14日21時26分、ここ鹿児島でも大きな揺れがあったが、熊本県熊本地方では震度七の大地震であったことを直後の報道により知った。マグニチュードは6.5であった。その後も余震が断続的に続いたが、最初の大きな揺れから約28時間後、4月16日1時25分に再び大きな揺れがあった。熊本県熊本地方では、やはり震度七であったが、マグニチュードは7.3であった。気象庁の直後の発表では、こちらが本震であり、14日の地震はその前震であったとのこと。しかしその後、大分地方でもかなり大きな地震があり、今回の地震は、前震、本震、余震の区別が難しいということである。
鹿児島では、熊本のような直接的な被害はほとんどないが、例えば観光業界などは非常に大きな痛手であった。鹿児島国際空港は、ソウル、上海、台北、香港との直行便が就航し、アジアを含め多くの観光客が訪れるが、ゴールデンウィークを中心とした海外からの観光ツアーはほとんどがキャンセルになったという。国内旅行も、一時新幹線や九州自動車道が不通になったため、多くがキャンセルになった。そして物流も、九州北部との陸路がほとんど断たれたために、大きな影響を受けた。
九州教区総会
九州教区総会は、地震の影響でどうなるか心配されたが、予定通り5月3~4日、福岡の九州キリスト教センターにおいて開催された。
教区総会と前日の議員研修会において、熊本・大分各地の被害状況、教区としての初動とその後の対応、教団との協力関係などが詳しく紹介された。
梅崎浩二議長の報告によれば、4月15日午前中に、教区事務所では熊本地区を中心に被害状況などを聴取し、議長自身と日下部遣志副議長が被害地域を訪問することを決定。また同日、教団から「救援対策委員会を設置した。加藤誠幹事を派遣したい」との申し出があった。加藤幹事と教区の新堀真之書記は同日中に、教区議長の牧する大牟田正山町教会に入り、会談。教団からは、席上、100万円の「御見舞」をくださると同時に、「教団は教区の判断を第一とし、これに従って支援する」との基本姿勢が伝達され、教区もこれに合意したとのことである。その後、鹿児島の川内教会から北上した日下部遣志副議長と熊本県北部の山鹿で合流して情報交換。ただしその数時間後に、いわゆる本震が起こる。
16日(土)、教区三役と加藤幹事は各教会を訪問し、夕刻、熊本草葉町教会において、三役は「九州教区『熊本地震』救援対策本部」を設置し、併せて以下の救援対策方針を定めた。「①被災教会・教職・教会員の救援を第一の課題とする。②前項を手掛かりとして地域支援の方途を探り、可能の事柄より漸進的に実施する。③益城町への支援については時期を見て熊本YMCAとの連携を図る。④被災現地の現況と教区の力量に鑑み、混乱を避ける為、当面、教区外に物的・人的支援は求めない。⑤『熊本地震救援募金』を早急に開始し、教区内外に訴える。」各教会の被害状況などについては、ここでは割愛させていただく。
教区総会においても、「熊本・大分地震に関する件」が緊急議案として上程され、可決された。提案内容は以下の通りである。「①被災した教会・伝道所・地域を覚えて祈り、必要に応じた長期的支援を行う。②被災教会・伝道所については、2016年度の負担金減免の可能性を含め、適切に対処する。」
さて私にとっては、二度目の九州教区総会であったが、その他のことも簡単に述べておきたい。震災のことがなければ、次年度より始まる新たな十年の「九州教区宣教基本方針」について議論することが最も大きな課題となるはずであった。私は東京教区から移って来た者として、九州教区が1970年代以降、いわゆる「戦責告白路線」を貫き、それを今後も継承しようとしていることを、敬意をもって賛同し、心強く思った。これについては、いずれまた報告することとしたい。
教団総会議員選挙が行われた。東京教区のように、予め多数派グループが配ったメモ通りに決まる、いわば「白けた選挙」ではなく、総会全体の意思を反映した本来の選挙らしい選挙が行われていることを、新鮮に思った。九州教区では、総会開催中に「選考委員会」が開かれ、教区や各地区で何らかの責任を持っている人、女性の比率などが考慮されて選挙直前に倍数候補が挙げられ、加えて自薦も認められる。各候補者が所信表明をし、その直後に投票が行われる。全数連記ではあるが、全議席を占めるためのメモが回されるわけでもなく、それなりに多様な立場の人が選出されているように思う。教区内には多数派がそのまま多数の議席を占めることのないように全数連記を改めようという声があり、選挙方法を検討中である。私個人としては、現在のままでもよいのではないかと思うが、その過程を見守りたい。
鹿児島YMCAの者として、熊本を視察
私は鹿児島YMCAの常議員と運営委員を務めているが、教区総会の帰途、せっかくの機会であるので、久留米で一泊して、熊本地震の被災地と、熊本YMCAの活動を視察してきた。熊本YMCAの本部は熊本城のすぐ近くにある。カーナビで出てくる最短コースは熊本城を取り巻く道が閉鎖されているために通れない。遠目に見る熊本城の姿は、新聞やニュースで見るとおり痛ましいものであった。しかし何とか持ちこたえる姿が市民を励ましているようでもある。YMCA本部の建物も、玄関部分の床などにひびが入り、段差ができていた。
その後、被害の大きかった益城町に入ったあたりから、建物の損傷が大きくなっていくのが見て取れた。益城町総合体育館は、1年前の2015年4月から熊本YMCAが指定管理をしているのであるが、地震後、この総合体育館は被災された人たちの最も大きな避難所の一つになり、避難所の運営もそのまま熊本YMCAに委ねられている。益城町役場としては、避難所の部分だけでも信頼できるYMCAに任せることができてほっとしているのではないか。YMCAはキャンプ場の運営などに実践的なノウハウを持っているので、避難所の運営もボランティア団体を上手に用いて、適切に行っていたように思う。偶然と言えば偶然であるが、そこには神様の配慮、配剤があったのではないか。
益城町の少し南に御船町がある。恐竜の化石が出たことで有名で、恐竜博物館もある。その恐竜博物館のすぐ隣に、御船町の文化センターとスポーツセンターがあり、その両センターも避難所になっている。御船町スポーツセンターもまた、奇しくも2015年4月より熊本YMCAが指定管理している。そこではゴールデンウィーク中は、鹿児島YMCAの所長である新内博之氏がコーディネーターとして働いていた。そこでも神様の配慮、配剤を感じた。
隣県鹿児島の者にとって今大事なことは、いかにして熊本の被災者の方々の真の隣人になるかであると思う。すぐ隣の県にいても、普通に生活ができているのであまり実感がわかない。すでに風化が始まっているとも言える。鹿児島YMCAでは、熊本YMCAへの財的支援と、鹿児島YMCAからの人的物的支援のために、正式に募金を始めることとなった。具体的な目に見える支援のパイプがあるのは、幸いなことである。祈りにおいても働きにおいても熊本の被災地と積極的につながっていきたいと思う。