1. HOME
  2. ブログ
  3. かごっま通信 5(「時の徴」149号掲載 2017年10月発行)

かごっま通信 5(「時の徴」149号掲載 2017年10月発行)

  松本 敏之(「時の徴」編集同人)

オリンダ、アルト・ダ・ボンダーデ・メソジスト教会

前号で報告したように、私は2016年11月、かつて私が働いたサンパウロ福音教会50周年記念礼拝で説教することを主な目的として、久しぶりにブラジルを訪ねた。11月13日の記念礼拝の翌日、私は一気に3千キロ離れたブラジル北東部のレシフェへ飛んだ。国内といえども東京から台北くらいの距離がある。レシフェは南緯8度の熱帯、大西洋岸に位置する人口約150万人の大都市である。そしてその北隣には、ブラジル最古の街(人口約38万)オリンダがある。オリンダの歴史地区に入ると、タイムスリップしたかのように昔の建造物が立ち並ぶ。街ができ始めた頃、ポルトガルからやってきた総督が丘の上から大西洋を背景にした風景を見て、「オー、リンダ!」(なんと美しい!)と感嘆したことからオリンダと名付けられたと言う。この歴史地区は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
 オリンダの歴史地区

今回の旅の第2の訪問地は、そのオリンダ郊外の貧しい地区アルト・ダ・ボンダーデにあるメソジスト教会である。この教会は、1964年にアメリカ人デイビッド・ブラックバーン宣教師と妻のジャニ・メネゼスによって始められた。創始者のデイビッドは、1992年に信じがたい電気事故により亡くなってしまったが、その後も、教会は信徒リーダーのジャニを中心にして継続され、成長してきた。私は、1996年後半から98年末まで、約2年半、日本キリスト教団からブラジル・メソジスト教団へ派遣された宣教師、牧師として、ここで働いた。字が読めない人もたくさんいる貧しい教会であったが、私は毎週ポルトガル語で説教をし、たくさんのブラジルのすてきな賛美歌と出合い、カトリックの基礎共同体の人たちとの交わりをもつなど、かけがえのない貴重な経験をさせていただいた。

私がこの地を去った後、10年の時を経て、サンパウロ福音教会の後任であった小井沼眞樹子宣教師が、お連れ合いの小井沼國光牧師を天に送られた後、2009年から15年まで6年間にわたって、再び私と同じアルト・ダ・ボンダーデでお働きくださった。これは広いブラジルにおいて本当に不思議なことであり、感謝をしている。

 アルト・ダ・ボンダーデの人たちと

15日の夜の集会では、突然であるにもかかわらず100人近い大人や子どもたちが集まってくださった。私は久しぶりにポルトガル語で証をし、子どもたちには人形トークショーをした。私が日本語に訳したブラジルの賛美歌を日本語で歌うと、ブラジル式に大いに盛り上がって、なつかしい再会を喜び合った。

その日の日中は思わぬ時間ができたので、路線バスに約30分乗って、オリンダの田舎からレシフェの街へ繰り出した。バスはかなり荒い運転で、道も悪いので、座っていても、しっかりつかまっていないと、振り落とされそうになる。帰りはタクシーにした。運転手に「ブラジルの運転は荒いね」と話したら、「いやーブラジルの運転は大変なんだ。前を見てるだけではだめ。いつ車が突っ込んで来るかわからないので、常に左右の注意を怠らず。それだけじゃないよ。上も下も要注意。ロンバーダ(スピードを出させないための突起。英語のBump)はあるし、どこに穴があるかわからない。上からも何が降ってくるかわからない」と、冗談を言っていたが、半分は本当である。

 アルト・ダ・ボンダーデ教会、集会後に集まった人たち

 

サルバドール、小井沼眞樹子さんの新たな宣教地

11月16日、早朝にレシフェの空港を出発して、第3の訪問地サルバドールに向かう。サルバドールは、レシフェから南へ約900キロメートル。黒人たちがたくさんアフリカから奴隷として連れてこられた港町であるため、今でもブラジルで最も黒人の比率が高い。16世紀半ばから18世紀半ばにリオデジャネイロに遷都されるまで首都であったブラジルの古都。文化的にも豊かで、アフロ・ブラジル文化の発信地でもある。

 サルバドール、ヴァレリオ・シルヴァ地区.

訪問の目的は、私が「共に歩む会」の共同代表を務めている小井沼眞樹子宣教師の新たな宣教の地を視察すること。彼女は前述のオリンダの教会を去った後、2016年2月からサルバドールで新たな働きを始められた。私は普段鹿児島にいて、名ばかりの共同代表なので、せめてこうした機会にお訪ねして、務めを果たしたいと思った次第である。空港では、眞樹子さんと共に、ヴァレリオ・シルヴァ合同長老教会のダゴルベルト牧師が出迎えてくださった。

ヴァレリオ・シルヴァは、サルバドールでも貧しい地区であるが、オリンダのアルト・ダ・ボンダーデ地区の貧しさとはまた違う。斜面にぎっしりと、どんどん家を建てていく風景は、都会特有で、リオデジャネイロのファベーラ(スラム)と似ている。ちょうど水曜日に地域への奉仕として裁縫教室をやっているので、見せていただき、交わりを持たせていただいた。

 ヴァレリオ・シルヴァ合同長老教会の裁縫教室.

翌日は、小井沼眞樹子さんがかかわりを持っているトリンダーデ共同体を訪問。眞樹子さんによれば、この共同体はエンヒーキという信徒修道士によって始められたものである。彼は、路上生活者支援を使命としてフランスからブラジルにやってきたが、幾つかの都市で働く中で、サルバドールで荒れたまま放置されていたトリンダーデ教会を発見する。そこの使用願いを出したところ、2000年に大司教区に使用を認められ、路上生活者たちの住まいとなった。現在、スタッフも含めて21名が家屋に、25名が教会内に住んでいる。

聖壇を初め、敷地内のあちこちに貧しい人びとをモチーフにした絵画、彫刻が飾られている。すべてこの共同体にかかわった人たちによる作品である。トリンダーデ教会であることから、さまざまな形で三位一体を描いたものが目立つ。特に印象的であったのは、「慈悲の三位一体」と題された作品。眞樹子さんは、「父と子と聖霊がひとつになって、おなかに穴のあいた一人の人を世話するこの作品を見て、初めて三位一体の深い意味がわかりました」と話された。

 「慈悲の三位一体」の絵

駆け足で足掛け4日間の北東部(レシフェ/オリンダ、サルバドール)の旅を終えて、11月17日の昼頃の便でサンパウロへ戻る。ブラジル入国の際にサンパウロへ降り立った時はサンパウロが雑然と感じられたが、北東部から戻るとサンパウロが整然と映るので、不思議なものだ。

関連記事