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かごっま通信 1

今年(2015年)4月に、鹿児島加治屋町教会牧師に着任して、半年以上が過ぎた。私は、ブラジルで宣教師として働いた経験はあるが、日本では東京以外の教会で働くのは初めてである。九州も鹿児島も、私にとっては未知の場所である。これからこの地での出会いや経験、考えたことなどを少しずつお伝えしていきたい。 タイトルは、鹿児島通信としようかと思ったのだが、どうも硬い感じがする。NPO法人「残していきたいかごっま弁」理事長、橋口満氏によれば、鹿児島人の「鹿児島」の発音には次の五種類位あるという。「かごしま」、「かごひま」、「かごいま」、「かごんま」、「かごっま」。この中で、地域色を表す時にしばしば用いられるのが「かごっま」であるので、この通信も「かごっま通信」とさせていただく。

 

小泉純一郎元首相の講演会

鹿児島と言えば、川内原発のことを気にかけてくださっている方が多いことと思う。8月に一号機が、10月に二号機が再稼働した。こうしたことについて鹿児島でもやはりさまざまな反対運動がなされている。六月四日には、鹿児島市内のホテルにおいて、小泉純一郎元首相の「日本の進むべき道」という脱原発の講演会が開かれた。小泉氏の講演は、論点が明確で、わかりやすいものであった。彼は「原発は安全であるという嘘」、「原発は経済的であるという嘘」、「原発はクリーンであるという嘘」という三つの嘘について語った。原発についてある程度の知識を持った者にとっては、特に新しい内容ではなかったが、首相を経験した人の言葉はさすがに説得力がある。自分が首相でありながら、いかに専門家たちの嘘に騙されてきたかということを、暴露話のようなエピソードを交えて熱く語った。本当に騙されていたのかどうかは別として、「それが嘘であり、自分が騙されてきたことに気づいたならば、それを伝えなければならない」という態度は偉いと思った。

川内原発の安全を考える市民の会

この講演会は「川内原発の安全を考える市民の会」(代表、藤田房二 日本基督教団串木野教会牧師・友愛幼稚園園長)の方々の働きかけがきっかけとなり行われた。熱心に脱原発運動をしている市民の会はじめ地元の人たちの要望が東京の城南信用金庫理事長の吉原毅氏を通じて、小泉純一郎氏に伝わり、実現に至ったということだ。藤田牧師によれば、「川内原発の安全を考える市民の会」は、1997年に発足した。発足後三年の2000年に、「三号機増設の問題」が起こり、それをやめさせるために、「市民の会」は再び活発に活動を始めることとなるが、その時に書かれたものにこういう文章がある。「私たちの暮らす、いちき串木野市は川内に隣接し、原発から5~20キロ圏内、1年の大半を原発から風が吹く風下地区です。『川内原発の安全を考える市民の会』は、1997年、鹿児島で起こった地震をきっかけに、歩みを始めました。その地震とは、鹿児島県北西部地震でした(川内震度六弱)。……九州電力の発表では、大丈夫とのことでしたが、不安はつのるばかりでした。そこで幼稚園の教職員や、父母を中心に同じ思いをもつ市民が集まり、『川内原発の安全を考える市民の会』として活動を始めました。5月末より『原発を止めて総点検を』という旨の署名活動を始め、6月26日6974筆の署名を持って、子どもも含め、市民29名で九州電力にお願いに行きました。……それから三年後、今度は川内原発の増設問題が起こりました。」この川内原発三号機増設のための環境調査にゴーサインが出てから、「市民の会」は串木野市議会に対して、毎回、陳情を出したり、講演会を行ったり、また市長選、知事選、市議選において脱原発の候補者を応援するなど、さまざまな活動をしてきたという。市民の声が三号機増設への道を鈍らせたということもできる。そうした折に、2011年の東日本大震災が起こり、結局、三号機増設は実施されなかった。もしも市民の反対の声が小さく、巨大な三号機が増設されていたら、もっと取り返しのつかない事態になっていたことであろう。

マタイ福音書23章に照らして

さて小泉氏は、講演の中でこう語った。 「つい昨年、『鹿児島の川内原発は新しい基準に合格した、パスした』と原子力規制委員会の委員長は発表しました。『新しい審査合格したけれども、安全とは申し上げない』と言っているのです。」原子力規制委員会の専門家たちは、責任がふりかからないように自分を守りながら、安全だと思い込ませる話し方をする。専門的知識のない者は安全だと信じてしまう。私は、次の主イエスの言葉を思い起こした。

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」(マタイ23章13節)。

政治家も恐らく騙されたふりをしているのであろう。主イエスの言葉は、こう続く。「ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う」(同16節)。専門的な言葉を操って、素人を丸めこもうとする。しかしそれは詭弁である。原発メーカーや電力会社の責任者には、次の批判が当てはまるのではないか。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」(同27節)。政府の立場を守ろうとし、その中で自分の役割を全うすることに腐心し、それがどのような結果をもたらすことになるかを真剣に考えようとしない政治家に対しては、次の言葉が響く。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである」(同23節)。十分の一を献げるという律法はあったが(レビ記27:30)、ここにある香辛料のようなものはどちらでもよいとされていた。しかし彼らはそのような細かいところまで責任を果たしているように見せながら、最も大事なことが何であるか気づいていなかった。

原発推進者たちは、「自分は自分の務めを果たしているだけ」ということで、その結果将来起こるであろうことを真剣に見ようとしていない。しかし民主主義である現代においては、それは政治家など上に立つ人の問題だけではなく、私たち民衆の責任でもある。私たちは、そうしたところでこそ、結果を見通す力を養い、よき将来のために働くことが求められているのであろう。

松本敏之(「時の徴」144号、2015年12月発行)

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