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松本牧師説教集

経堂緑岡教会時代

2017年度宣教活動方針

牧師 松本敏之

今年度私たちは「キリストの前によろこび集まり、たがいに励まし、たがいに仕えよう」という年間主題を掲げました。これは、「讃美歌21」543番の1節1行目と4行目の言葉です。

「キリストの前によろこび集まり/キリストの愛を感謝して歌おう/キリストにならい誰をもへだてず/たがいに励ましたがいに仕えよう」

  まず「たがいに励まし、たがいに仕えよう」という言葉に注目しましょう。昨年度は、委員会制度を(再)発足させ、礼拝、伝道、広報、社会、庶務、財務の6つの委員会に広く委員を募りました。今年度もそれを継続しますので、ぜひどこかの委員会に所属してください。これらにかかわることによって教会の活動の仕組みがわかり、信仰の友もできていくと思います。

また「礼拝後に歓談できる場所が欲しい」という声を受けて、「茶いっぺ会」を始めることになりました。

 「たがいに励まし、仕える」だけでは、私たちは奉仕に疲れてしまうかもしれません。交わりも負担になるかもしれません。ですから「キリストの前によろこび集まる」ということが前提となります。教会は、何にもまして礼拝共同体であることを忘れてはならないでしょう。共に祈り、共に賛美をし、共に御言葉に聴く。クリスチャンとしての生活はそこから始まります。

 その延長線上に、「聖書を学び祈る会」があります。信仰は、「聖書を学び祈る」ことで深められていきます。疑問に思うことなど率直に聴いてみたいという初心者の方もぜひ集っていただきたいと思います。


さてこの賛美歌の中に「キリストにならい、誰をもへだてず」という言葉があります。これはなかなか難しいことです。教会に集う人の中にも好きな人嫌いな人があるかもしれません。教会の交わりの中にあっても、傷ついたり、憤慨したりするようなことがあるかもしれません。教会も人間の交わりですから、他の共同体で起こるのと同じことが起きえます。しかし私たちはそこで立ち返るべき原点が与えられているのは幸いなことです。ここに集められた人はすべてイエス・キリストによって招かれた人たちなのです。

 2節の歌詞後半に「キリストは弟子の足さえ洗われ、みずから仕えて模範となられた」とあります。

イエス・キリストの弟子集団は、共通の目的のために自主的に集まった人々ではありませんでした。そこには水と油のように、考え方の違う人もいました。たとえば、弟子の中には、「徴税人マタイ」と「熱心党のシモン」がいました(マタイ10・2~4)。熱心党とはローマからの独立を目指す、いわばユダヤ民族主義者、超愛国主義者です。他方、「徴税人」とはローマに納める税金を集めていた人ですから、ユダヤ民族主義者からすれば、ローマに媚びを売る、絶対にゆるせない存在でした。その両者をイエス・キリストはひとつの輪の中に呼び集められたのです。イエス・キリストは、まず弟子たちを和解させつつ、その集団を用いて、外に向かって、和解の福音を説かれたのです。

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)という言葉を心に刻んで歩んでいきましょう。

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