アメリカン・メソジスト監督教会は、1873年(明治6年)2月切支丹禁制の高礼撤去後の6月から8月にかけて、宣教師M・C・ハリスを函館に、R・S・マクレー、I・H・コーレル、J・ソーバーを横浜と東京に、J・C・デヴィソンを長崎に送って日本布教を開始した。J・C・デヴィソンは3年かけて僧侶出身の飛島賢次朗を育て上げ、1876年に出島美以教会(現長崎銀屋町教会)を創設し柳川にも伝道の手をのばしつつ鹿児島への進出を待望していた。1877年J・C・デヴィソン師と飛島伝道師は鹿児島を視察、山下町に民家を借り伝道を開始した。1882年9月九州教区長の承認を受け教会が組織された

 

創立当時は鹿児島美以教会(メソジスト・エスピコパル・チャーチ)で1907年日本メソジスト鹿児島中央教会と呼称した。 1925年(大正14年)ころ新会堂建築、鉄筋コンクリート造り2階建て。地上1階は礼拝堂、半地下1階と2階の1部は教会学校その他の集会用、東北隅の2階の上には円錐状の高い尖塔があるその上に十字架がそびえた西欧教会堂風であった。城山から見下ろすと、東に西本願寺別院の広大な寺院の屋根、西に当教会の十字架の尖塔と、好対照をなす、鹿児島の記念すべき建物の一つであった。1941年6月日本基督教団設立後は鹿児島城南教会と呼称した。

敬愛幼稚園 1916年(大正6年)宣教師ミス・フィンレーによって設立された。場所は現教会の所在地。一番奥は敬愛館

復興した会堂 空襲のため木々はなくなっている。

この地は現在照国町のサンクスのある場所である。

1976年の敬愛幼稚園の地に照国町の会堂と幼稚園を一緒にして新しく現会堂が建設された。 1985年8月1日から所在地の加治屋町から鹿児島加治屋町教会と改称された。

1973年12月24日

学校法人 鹿児島敬愛学園 敬愛幼稚園

敬愛幼稚園

1916年(大正5年)県内初の私立幼稚園としてこの地に創立されました。初代園長のミス・フィンレー宣教師は、西郷隆盛の人柄に惹かれ、西郷の言う「敬天愛人」の言葉が、聖書の教える「神を敬い、人を愛する」に通じることから、敬愛幼稚園と名付けました。

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