教会の歴史

 

戦前とそっくりに再建された会堂右の平屋は新牧師館

日本メソジスト鹿児島教会と称していた頃のもので1945年6月17日の空襲で外壁のみを残して焼失。

1985年8月1日日本基督教団鹿児島加治屋町教会と改称。

1877
明治10年
1878
明治11年

アメリカン・メソジスト監督教会のJ・C・ディビソン師が1877年に鹿児島を視察。

18786に山下町185番地の民家を借り上げ「美以教会」を設立

1878年(明治11年)には62名の受洗希望者が有り翌年3月に大人66名、子ども15名に洗礼を授ける。

デヴィソン氏は米国伝道局から街道建設資金の送金を受けていたが民家を借用していたので、その資金は長崎にミッションスクール加伯利(カブリ)英和学校(後の鎮西学院)の校舎建築に流用された。

1907
明治40年

1907年名称は日本メソジスト鹿児島中央教会に

1926年に照国町に新会堂が完成

1926
昭和元年

1941年日本基督教団設立後は鹿児島城南教会となる。

1945年空襲で牧師館焼失、会堂も半焼

1949
昭和24年

1949年牧師館建設、翌年会堂も復興

飛鳥伝道師が派遣される。

1976年照国町を売却し敬愛幼稚園のあった加治屋町に移転幼稚園と一緒に新会堂完成

1976
昭和51年

1904年(明治37年)

九州宣教師、牧師、信徒の修養会      鹿児島メソジスト教会

1954年再建された敬愛幼稚園

後方は旧宣教師館(敬愛館)

敬愛館に隣接する敬愛幼稚園

中央はフィンレー園長

戦後再建の幼稚園園庭にて右前列より牧村先生、澤田牧師、メイヤー宣教師

1972年4月22日 鹿児島城南教会イースター礼拝記念写真

1933年ころの記念集合写真

パイプオルガン設置

(日本基督教団銀座教会より譲渡)

1981年10月4日より奏楽開始

教育館献堂

1986年10月19日献堂感謝礼拝

2008年6月新パイプオルガン設置

資料は写真は鹿児島加治屋町教会教会史「恵のみ手に支えられて」より引用

1878

初代・飛鳥賢次郎牧師

1883

2代・谷川素雅牧師

1884

3代・高原康太郎牧師

1887

4代・中山忠牧師

1892

5代・川瀬小太郎牧師

1895

6代・古坂啓之助牧師

1896

7代・栗村佐衛八牧師

8代・松本聡吾牧師

1903

9代・中村徳太郎牧師

1908

10代・値賀虎之助牧師

1011

1918

1919

11代・柳原直人牧師

12代・木原外七牧師

13代・柳原直人牧師

1926

14代・久保光治牧師

1930

15代・笹村謙一牧師

1935

16代・井上健次郎牧師

1938

17代・三岡一郎牧師

1943

18代・澤田鈴歳牧師

1974

19代・藤原 亨牧師

1981
昭和56年
2008
平成20年
1986
昭和61年
1985
昭和60年

20代・今野善郎牧師

21代・亀井牧師

22代・飯田輝明牧師

23代・松本敏之牧師